ヨアヒム・ユンク ヨアヒム・ユンクの概要

ヨアヒム・ユンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 20:09 UTC 版)

Joachim Jung.

略歴

リューベックで生まれた。1606年から1608年の間、リューベック大学で形而上学を学んだ後、ロストック大学で学び、1609年に数学の教授資格を得た。1616年にロストック大学で医学を学び始め、1619年にパドヴァ大学で医師の資格を得た。1624年からロストック大学で数学を教え、1626年からヘルムシュテット大学で医学を教えた。1629年にハンブルクに移り、ヨハネウム学院Akademisches Gymnasium で博物学を教えた。1623年にイタリア以外のヨーロッパで最初の学会、Societas ereunetica sive zeteticaを創立した。

主著は"Doxoscopia" (1662)と"Isagoge phytoscopica" (1679)で、没後に弟子たちによって出版された。植物学の分野の思想は時代に先行したもので、ジョン・レイ (1627-1705)やカール・フォン・リンネ(1707-1778)に影響を与えたとされる[1]

数学の分野ではカテナリー曲線(懸垂曲線)が放物線でないことを示した。

著作

参考文献

  1. ^ 遠山益:『生命科学史』裳華房(2006) P.66



「ヨアヒム・ユンク」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨアヒム・ユンク」の関連用語

ヨアヒム・ユンクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨアヒム・ユンクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨアヒム・ユンク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS