マサチューセッツ工科大学
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歴史
MITは自然哲学者ウィリアム・バートン・ロジャース(ウィリアム・アンド・メアリー大学卒業)によってボストンの地にボストン技術学校の名で設立され、1865年にマサチューセッツ工科大学に改称し開学した。
創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は一人前の大人(社会人)で、建設業者や熟練工、工事監督、熟練機械工、見習い工、熟練エンジニアなど既に一定の技能を身につけた人々だった。このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、キャンパス・ライフは存在しなかった。MITには学生寮もなく、礼拝堂もなく、1867年まで食堂すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来た[注釈 3]。最初のうちは学生は男子のみだったが、1870年代になって初めて女子の入学を受け入れはじめた。
ヨーロッパでは歴史的に技術系の職業が低く見られ、近代半ばまで大学での「工学系学部」の位置づけも明確でなく、工学部設置も日本に先を越された。この状況はアメリカでも強く、理工系専門の教育機関として創設されたMITも人々から偏見の目で見られた。
20世紀初頭にボストンでは開発ブームが起こり、不動産の高騰などによってMITは、これまでいたコプリー・スクェアの地を立ち退かなければならない事態となった。皮肉なことに、この開発ブームに拍車をかけたのは1865年以来、MITが送り出してきた数千人に及ぶ卒業生たちであった。MITは研究室ごとに高騰したボストン各地の不動産市場に散りぢりとなり、大学移転のために次の候補地を探したが、調達資金などの面から難航した。
1909年、資金調達能力を有するリチャード・マクローリンがMITの新学長に就任したことによって事態は収拾に向かい、MITの新キャンパスの候補地としてケンブリッジとボストンの境界を流れるチャールズ川の埋立地(ケンブリッジ側)が検討されるようになった。
だが、移転に際していくつか問題があった。第一に土壌が埋め立てたばかりで軟弱であったこと、第二にケンブリッジを縄張りとしていたハーバードとの政治的・歴史的問題である。特にハーバードとの問題は深刻で、MITのほとんどの卒業生が、このとき文科系人種をはじめとするボストンの人々からいわれのない偏見を受け、罵声を絶え間なく浴びせられたという[注釈 4]。この状況について関係者は「肘で誰かを押しのけて食事をするようなものだ」と語っている。
さらにMITがケンブリッジにキャンパスを移転してからは、ハーバードとの対抗は激しくなり、人々の中にはMITを「職業訓練学校」と侮辱する者もいた。例えばボストンのある名士が、ハーバードで教えるかわりにMITへの奉職を考慮していた甥に対し、次のような手紙を書いている。
「この国では、常に金と鉄道と発明の嵐が吹き荒れてる。公立学校だの、高校だの、職業専門学校(MITのこと)だのと言ったものは、どんな学校にも作れるが、ケンブリッジ(ハーバードのこと)のようなところだけが、学問にふさわしい雰囲気と歴史と思っている。大学とは、そうでなければならないのだ。大いなるハーモニーを学べるところでなくては」[13]。
注釈
- ^ 「ミット」は誤用で、主に日本、欧州の極めて一部で用いられる。
- ^ List of Nobel laureates by university affiliation
- ^ この状況についてMITのある校長は「ここ (MIT) は子供が遊ぶ場ではなく、大人が学ぶための場所である」とその特徴について語っている。
- ^ なかには思い上がった者がボールボーイなどと中傷する者もいた。
- ^ MITには鉄道の引き込み線なども存在した
- ^ 正確には「ボストン地区にあった他の候補に比べて」という意味であり、ほかの大学は実践経験が乏しい理論派学校か美術学校ばかりで軍の基準に合致しなかったためである。実際にプロジェクトを行う上で、政府はロチェスター大学のリー・ドゥブリッジを指導者として招いた。
- ^ これらが日本の大学における「学部」・「研究科」に相当する。
出典
- ^ “Symbols: Seal”. MIT Graphic Identity. MIT. 2010年9月8日閲覧。
- ^ “MIT releases endowment figures for 2014”. MIT News. 2014年9月13日閲覧。
- ^ “Faculty and Staff”. MIT Facts. MIT. 2014年3月11日閲覧。
- ^ a b “Enrollment Statistics”. MIT Registrar. 2014年9月13日閲覧。
- ^ “The Campus”. MIT Facts 2012. 2012年5月31日閲覧。
- ^ “Colors - MIT Graphic Identity”. Massachusetts Institute of Technology. 2014年9月26日閲覧。
- ^ “The Official Site of MIT Intercollegiate Athletics - MIT”. 2015年9月6日閲覧。
- ^ “Symbols: Mascot”. MIT Graphic Identity. MIT. 2010年9月8日閲覧。
- ^ NAICU – Member Directory Archived 2015年11月9日, at the Wayback Machine.
- ^ 藤崎博也 編『日本MIT会七十五年の歩み』日本MIT会、東京、1986年10月31日、[要ページ番号]頁。
- ^ D. Kaiser (2010). Becoming MIT. MIT Press. p. [要ページ番号]. ISBN 9780262113236
- ^ The 20 colleges that have created the most millionaires and billionaires/BUSINESS INSIDER Written by Tanza Loudenback May 18, 2017, 1:45 AM JST 2024年5月閲覧
- ^ フレッド・ハプグッド 著、鶴岡雄二 訳『マサチューセッツ工科大学』新潮社、1995年9月25日、[要ページ番号]頁。ISBN 9784105315016。
- ^ SHIMBUN,LTD, NIKKAN KOGYO. “【電子版】米MIT、寄付基金資産 約1.6兆円に”. 日刊工業新聞電子版. 2022年5月1日閲覧。
- ^ a b Lu-Hai Liang (2012年9月13日). “What's it like to study at MIT?”. theguardian, 2014年9月13日閲覧。
- ^ a b “Paul Krugman, PhD ’77”. MIT Technology Review. MIT News Magazine (2014年8月19日). 2014年9月13日閲覧。
- ^ 日経BP. “理系の世界的な名門・MITで、なぜ音楽の授業が人気?:日経xwoman”. woman.nikkei.com. 2023年1月10日閲覧。
- ^ 日経BP. “理系の世界的な名門・MITで、なぜ音楽の授業が人気?:日経xwoman”. woman.nikkei.com. 2023年1月10日閲覧。
- ^ “IHTFP Hack Gallery”. 2005年6月2日閲覧。
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