ペドロ・エマヌエル 経歴

ペドロ・エマヌエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 04:49 UTC 版)

経歴

選手時代

クラブ

ボアヴィスタFCの下部組織出身であるが、1993年にリーガ・サグレス(2部)のFCマルコポルトガル語版からプロデビューし、続く2シーズンは同じくリーガ・サグレスのADオヴァレンセポルトガル語版FCペナフィエルでプレーした。

ボアヴィスタFC

1996年にはユース時代を過ごしたスーペル・リーガ(1部)のボアヴィスタFCに移籍し、以前にもともにプレーしていたセンターバックのリトス、サイドバックのヌーノ・フレシャウトとエリヴァン・ナシメント、キーパーのリカルド・ペレイラなどとともにゴール前に壁を築いた。2000-01シーズンにはクラブ初のリーグ優勝を成し遂げた。2001年夏にリトスがマラガCFに移籍したため、2001-02シーズンはペドロ・エマヌエルがキャプテンを務めた。

FCポルト

2002年夏にはSLベンフィカがエマヌエルの獲得レースに勝利するかと思われたが、彼はジョゼ・モウリーニョ監督率いるFCポルトと契約した。ジョルジュ・コスタリカルド・カルバーリョパウロ・フェレイラヌーノ・ヴァレンテなどとともに形成された強力な守備陣の中でも、彼は常に献身的なプレースタイルでモウリーニョ監督からの信頼を得た。2002-03シーズンにはUEFAカップで優勝し、2003-04シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで優勝したが、セルティックFC(スコットランド)と戦った前者、ASモナコ(フランス)と戦った後者いずれの決勝にも出場した。2004年夏にはモウリーニョ監督がチェルシーFC監督に就任したが、エマヌエルはレギュラーの座を離さず、同年12月のインターコンチネンタルカップオンセ・カルダス(コロンビア)戦(0-0、PK8-7)では彼が蹴ったPKが勝敗を決めた。同大会は2005年からFIFAクラブワールドカップに移行したため、名称変更前の同大会で最後にボールに触った選手となった[1]

2005年夏に就任したコー・アドリアーンセ監督はキーパーのビトール・バイーアやサイドに位置するジョルジュ・コスタがキャプテンとなることを好まず、エマヌエルが新キャプテンに選ばれた。2006年8月、マンチェスター・シティFCとのプレシーズンマッチの試合前に左アキレス腱を負傷し[2]、2度の手術を行って2006-07シーズンを丸々棒に振った[3]。2007-08シーズンはレギュラーに返り咲き、リーグ戦19試合に出場してリーグタイトル奪還に貢献した。2008年夏にはクラブからU-17チーム監督就任の打診を受けたが、この申し出を断って現役にこだわった[4]。2008-09シーズンは公式戦を通じて5試合しか出場できず、2009年6月16日に現役引退を表明した[4]

代表

アンゴラ共和国出身であるが、各年代のアンゴラ代表でプレーしたことはない。1995年から1996年にはU-21ポルトガル代表としてプレーしているため、アンゴラ代表からの招集を受けないのはポルトガル代表でプレーする可能性を残したいためだと解釈する者もいた。

2006 FIFAワールドカップ前には、同大会出場を決めたアンゴラ代表から招集を受け、エマヌエルはこれに応じたが、国際サッカー連盟 (FIFA) は、2004年に制定された新しい規則を理由に、彼とカルロス・シャイーニョがポルトガル代表以外から試合に出場することを認めなかった[5]

指導者時代

現役引退発表直後にFCポルトのU-17チーム監督に就任した[4]。2009-10シーズンのU-17全国選手権ではスポルティングCPのU-17チームを倒して優勝した[6]。2010年7月には新たに就任したアンドレ・ヴィラス=ボアス監督のアシスタントコーチとしてトップチームに復帰した。2010-11シーズンは他クラブを圧倒する成績でリーグ優勝を果たし、UEFAヨーロッパリーグなどを含めて4冠を達成した。

2011年6月、ヴィラス=ボアス監督もかつて指揮したアカデミカ・コインブラの監督に就任し、初めてプロクラブのトップチームを指揮することになった。2011-12シーズンのタッサ・デ・ポルトガルでは、4回戦でFCポルトに3-0で勝利するなどし[7]、クラブにとって1969年以来となる決勝進出を果たした。決勝ではスポルティングCPを1-0で下し、クラブにとって1939年以来となる国内カップ制覇を果たした[8]

2018年から1年間、サウジアラビアタアーウンFCを率いる。2019年8月4日、サウジアラビア人オーナーに買収されたスペインUDアルメリア監督に就任[9]

2021年10月1日、サウジアラビアのアル・ナスルFC監督に就任するが[10]、わずか1ヶ月後の11月10日に解任された[11]


  1. ^ Porto triumph in World Club Cup BBC Sport、2004年12月13日
  2. ^ Achilles agony for Porto skipper UEFA.com、2006年8月13日
  3. ^ ポルトのエマヌエル、今季絶望も UEFA.com、2007年1月18日
  4. ^ a b c ポルトのペドロ・エマヌエルが現役引退 UEFA.com、2009年6月17日
  5. ^ Angola plea to FIFA BBC Sport、2006年5月1日
  6. ^ F.C. Porto: Pedro Emanuel campeão nacional com os juvenis Mais Futebol、2010年6月26日 (ポルトガル語)
  7. ^ Porto humbled by Academica Archived 2012年1月25日, at the Wayback Machine. PortuGOAL、2011年11月19日
  8. ^ アカデミカ、下馬評覆して国内カップ初制覇 UEFA.com、2012年5月20日
  9. ^ El portugués Pedro Emanuel es el nuevo entrenador de la UD Almería” (スペイン語). UDアルメリア (2019年8月4日). 2019年9月26日閲覧。
  10. ^ アル・ナスル [@AlNassrFC_EN] (2021年10月1日). "OFFICIAL : ✍️ The Portuguese Pedro Emanuel is the New Head Coach of @AlNassrFC 🤩". X(旧Twitter)より2021年11月10日閲覧
  11. ^ アル・ナスル [@AlNassrFC_EN] (2021年11月10日). "The club has decided to terminate the contract with the first team coach Mr. Pedro Emanuel". X(旧Twitter)より2021年11月10日閲覧





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