フランス・ルネサンスの文学 劇作品

フランス・ルネサンスの文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:05 UTC 版)

劇作品

16世紀の劇作品も、他の文学領域と同様の進化を辿った。

ギルドと公権力の規制

16世紀初頭の数十年は、公的な劇場では、奇蹟劇は人気がなくなっていたが、中世からの神秘劇道徳劇笑劇、茶番劇 (sotie) などはなおも上演されていた。公的な上演は、ギルドシステムによって強く統制されていた。ギルド「受難劇団 (les Confrères de la Passion) 」は、パリでの謎劇の上演を独占的に認められていた。しかし、フランスでの宗教的亀裂の進展からの暴力や冒涜の恐怖によって、パリ高等法院は1548年に謎劇のパリでの上演を禁止した。ただし、首都以外では認められていた。

別のギルド「無憂児組劇団 (Enfants Sans-Souci) 」は笑劇と茶番劇を請け負い、「法曹劇団 (Clercs de la Basoche )」は道徳劇を上演した。受難劇団と同じく法曹劇団も政治的監視下におかれるようになり、劇は観劇委員の許可を得なければならず、また、実在の人物をモデルとした仮面や登場人物は禁じられた。そして結局1582年に上演禁止となった。16世紀末期には、受難劇団のみがパリでの独占的な権利を有し、その劇場を高額で劇団に貸し出したりしていたが、その特権は1599年に廃棄された。

演劇の傾向

こうした伝統的な作品を手掛けた多くの劇作家たち(笑劇で言えば、ピエール・グランゴール、ニコラ・ド・ラ・シェスナイ、アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュなど)の一方で、進取の傾向の強かったマルグリット・ド・ナヴァルもまた、数多くの伝統的な謎劇や道徳劇を執筆していたことは特筆される。

しかしながら、16世紀初頭には、ソポクレスセネカエウリピデスアリストパネステレンティウスプラウトゥスらの原語版の作品がヨーロッパでは読みうるようになっており、その後1540年代まで、人文主義者や詩人によって、そうした古典の翻訳と受容が行われていた。

フランスでは、1540年代に大学が、ジョルジュ・ビュシャナンやマルク・アントワーヌ・ミュレといった教授たちによって書かれた新ラテン劇の拠点となった。ミュレは、プレイヤード派のメンバーにも影響を与えた。そして、1550年代になると、フランス語で書かれた人文主義的劇作品も見られるようになった。

悲劇

セネカの作品は、人文主義的悲劇に強い影響を及ぼした。彼の劇作品、特に室内劇は、多くの人文主義的悲劇を、劇的な筋だてを越えて修辞や言語への集中に導いた。

悲劇の分類

人文主義的悲劇は2つの別個の方向を持った。

  • 「聖書的悲劇」 - 中世の謎劇に多分に触発されたものではあったものの、プロットは聖書から採られた。人文主義的な聖書的悲劇は、喜劇的な要素と神の存在を消去して、古典的なラインに沿って聖書の登場人物を再着想した。プロットは、しばしば同時代の政治的・宗教的諸問題とははっきりと分けられており、カトリックプロテスタント双方の劇作家が見られた。
  • 「古代的悲劇」 - プロットは神話や歴史から採られた。同じく同時代の政治的・宗教的諸問題とははっきりと分けられていた。

ユグノー戦争の進展に伴い、第三のカテゴリーが現れた。

  • 「同時代的悲劇」 - プロットは同時代の事件から採られた。

悲劇の研究

人文主義者たちは、劇の翻訳者や受容者としての仕事と並び、演劇の構造、プロット、登場人物などの古典理論の研究も行った。ホラティウスは1540年代に訳されたが、その内容は中世を通じて見ることができるものであった。アリストテレスの『詩学』は1570年代にやっとイタリア語訳が出たが、これもまた極度に切り詰められた形ではあったけれど、13世紀にはイブン=ルシュドのラテン語訳によって広まっていたし、16世紀前半には他の翻訳も存在していた。なお重要なことは、全訳に先んじて、ジュール・セザール・スカリジェによる注釈(『詩学』1561年)が現れていたことである。これは彼の代表作であると同時に、フランス演劇が三一致の法則を導入する上で重要な役割を果たしたものの一つである。こうした前提は理論研究に寄与した。

4世紀の文法学者ディオメデス・グランマティクス英語版アエリウス・ドナトゥスもまた、古典理論の拠り所となった。16世紀イタリア人は、古典演劇理論の出版と解釈において中心的な役割を果たし、彼らの作品はフランス演劇に大きな影響を及ぼした。ロドヴィコ・カステルヴェトロの『詩法』(1570年)はアリストテレスを基礎とするものであり、三一致の法則の最初の宣言の一つであった。この作品は、ジャン・ド・ラ・タイユの『悲劇の技芸』(1572年)に結びついた。ジャン・ジョルジョ・トリッシーノの悲劇のようなイタリアの演劇や、スペローネ・スペローニやジョヴァンニ・バッティスタ・ジラルディの作品が惹起したような礼儀作法を巡る論争も、フランスの伝統に影響した。

詩人と悲劇

プレイヤード派の詩的構成を特徴づけた古典からの模倣や受容を行おうとする精神に基づいて、フランスの人文主義作家たちは、次のような悲劇の形式を推奨されるものと見なした。すなわち、悲劇は五人の役者で演じられ、うち三人が貴族階級の主要人物であるべきことと、演劇はIn medias resで始まり、上品な言葉を使い、怖がらせる演出をすべきでないことなどである。

中には、ラザル・ド・バイフやトマ・セビエのように、中世的な道徳劇や笑劇を古典劇に結びつけようとした者もいたが、デュ・ベレーは、この主張を拒否し、古典的な悲劇や喜劇をより尊厳あるものへ昇華させた。

エチエンヌ・ジョデル

プレイヤード派の精神を演劇に適用したエチエンヌ・ジョデルの『囚われのクレオパトラ』(1553年)は、最初のフランス独自の演劇と見なすことができる。それは、五人で演じることなどホラティウスの演劇構造の教唆に従ったものであり、古代の模範と密接に結びついている。つまりは、プロローグが影 (a shade) に導かれ、動きへのコメントや登場人物への直接の語りかけを行う古典的なコーラスがあり、悲劇的な結末がメッセンジャーによって語られたものである。

プレイヤード派ではないが、メラン・ド・サン=ジュレが翻訳を手掛けたジャン・ジョルジョ・トリッシーノの『ソポニスバ』は、貴族ソポニスバの自殺を語った古代のモデルに基礎を置く最初の近代的な本格悲劇であり、1556年に宮廷で上演されたときには、大成功をおさめた。

喜劇

悲劇と並び、ヨーロッパの人文主義者たちは、古代の喜劇も受容した。15世紀イタリアでは、既に人文主義的ラテン語喜劇の形態が発達していた。

喜劇の研究と型

古代人たちは喜劇に関しては余り理論的ではなかったが、人文主義者たちはアエリウス・ドナトゥス、ホラティウス、アリストテレスやテレンスの作品から教えを汲み取り、ルールを設定していった。

  • 喜劇は真実を示すことで悪徳を正すことを求めるべきである。
  • 大団円であるべきである。
  • 喜劇は悲劇よりも通俗的な言葉遣いをするものである。
  • 喜劇は国家や指導者の大事件を扱うのでなく、市井の人々の生活を描くものである。
  • その主題は愛である。

題材

ロンサールがアリストパネスの『プルートゥス』の部分訳をしたように、古代のモデルに拘る作家もいたが、むしろ全体としては、フランス喜劇はどんな出典からも題材を採った。すなわち、中世的な笑劇、短編物語、イタリアの人文主義喜劇などである。イタリア喜劇の導入に当たっては、ピエール・ド・ラリヴェの役割が大きかった。

新しい傾向

16世紀末期の数十年には、4つの異なる劇モデルがフランスの舞台を席巻した。

  • コメディア・デラルテ - 1545年にパドヴァで生まれた類型的な特徴を備えた即興劇である。1576年にフランスに招かれた。
  • 悲喜劇(Tragicomedy) - 愛、騎士、魔法などが登場する冒険小説の演劇版である。それらの中で最も有名なのは、アリオストの『悲しみのオルランド』を題材にしたロベール・ガルニエの『ブラダマント』である。
  • パストラル(牧歌) - ジョヴァンニ・バッティスタ・グアリーニの『忠実な羊飼い』やタッソの『アミンタ』やアントニオ・オンガーロの『アルチェオ』などを模範としたものである。最初のフランス語によるパストラルは、悲劇の短い前座であったが、やがて五人劇に拡大された。ニコラ・ド・モントルーは、3つのパストラルを書いている。『アトレット』(1585年)、『ディアーヌ』(1592年)、『アリメーヌ』(1597年)である。
  • 宮廷バレエ - 舞踏と演劇の寓意的・幻想的な混成である。これらで最も有名なのは、『王妃の喜劇的バレエ』(1581年)である。

なお、16世紀末に最も影響力のあったフランス人劇作家は、ロベール・ガルニエである。こうした演劇は17世紀のバロック主義へと引き継がれてゆくこととなる。







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