フランシス・ヘンリー・テイラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 10:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フランシス・ヘンリー・テイラー Francis Henry Taylor | |
---|---|
生誕 | 1903年 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア |
死没 | 1957年 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
フィラデルフィアに生まれたテイラーは、フィラデルフィア美術館でキュレーターとしての第一歩を踏み出した。1931年にマサチューセッツ州ウースターのウースター美術館の館長となり、その後1940年にニューヨークのメトロポリタン美術館の館長となった。
彼はしばしばショーマンと評され、美術館を単なる美術品の貯蔵庫ではなく活動的な公共サービス機関と考える見方を発展させた。館長在任中にメトロポリタン美術館の入場者数は倍増し、年間230万人に達した[1]。
テイラーは、第二次世界大戦中に設けられ戦地における美術品の保全に取り組んだいわゆるロバーツ委員会の委員のひとりとなった[2]。また、1952年にはメトロポリタン美術館館長として『タイム』誌12月29日号の表紙を飾った[3]。
おもな著書
- Babel's Tower: The Dilemma of the Modern Museum (1945)
- The Taste of Angels: A History of Art Collecting from Rameses to Napoleon (1948, reprint 1955) - ASIN B0007HX8Y6
- Fifty Centuries of Art (1954)
- Pierpont Morgan as Collector and Patron, 1837-1913 (1957), Pierpont Morgan Library - ASIN B0007DVP6I
脚注
外部リンク
- Image of Francis Henry Taylor, Smithsonian Archives of American Art
- Photo by Yousuf Karsh
- フランシス・ヘンリー・テイラー - Find a Grave(英語)
- Francis Henry Taylor - インターネット・ムービー・データベース(英語)
文化 | ||
---|---|---|
先代: Herbert Winlock |
メトロポリタン美術館館長 1940年 - 1955年 |
次代: James Rorimer |
- ^ Custodian of the Attic, Time Magazine, December 29, 1952 retrieved October 13, 2006
- ^ 吉田守男、『原爆は京都に落ちるはずだった』(Kindle版2版、2016年)
- ^ “Francis H. Taylor” (英語). Time (Time Inc.) (December, 29, 1952). (December, 1952) 2019年2月9日閲覧。.
- 1 フランシス・ヘンリー・テイラーとは
- 2 フランシス・ヘンリー・テイラーの概要
- フランシス・ヘンリー・テイラーのページへのリンク