バハイ信教 信条

バハイ信教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 05:00 UTC 版)

信条

バハオラの教えはバハイの信仰の基礎を形成している。これらの教えの中心となるのは三つの原則であり、それはすなわり、神の一体性、宗教の一体性、人類の一体性である。バハイは、神が定期的に聖なる使者を通して自身の意志を明らかにすると信じており、その目的は人類の性格を変革し、使者の呼びかけに応える人々の中に道徳的、精神的な資質を発展させることである。宗教はこのように、秩序があり、統一され、時代から時代へと進歩していくと考えられている[16]

バハイの書物では、宇宙の万物の創造主である、唯一の存在であり、人格的で、近づくことはできない、全知にして遍在する、不滅で、全能の神について記述している[17]。神と宇宙の存在は永遠であり、始まりも終わりもないと考えられている[18]。 神には直接到達することはできないが、創造を意識し、意志と目的を持ち、それは神の顕示者と呼ばれる使者たちを通して表現されると考えられている[19]。バハイの神の概念は、すべての存在の源であり、人間の美徳の知覚を通して知られている「知ることのできない本質」である。別の意味では、神についてのバハイの教えも汎神論的であり、すべてのものに神の兆候を見ているが、神の現実は高貴であり、物理的な世界を超えている[20]

バハイの教えは、神は人間が完全に理解するにはあまりにも偉大であり、それらに基づいて、人間は自分自身で神の完全で正確なイメージを創り出すことはできないと述べている[21][22]。そのため、神に対する人間の理解は、顕示者の人格を認識し、顕示者を介して示される神の啓示を理解することによって達成される[21][22]。バハイ信教では、神はしばしば称号や属性(たとえば、「力に満ち給う御方」、「すべてを愛する御方」など)によって言及され、一神教にかなりの重点が置かれている。バハイの教えでは、これらの属性は神に直接適用されるものではなく、神性を人間的な言葉に翻訳し、人々が神を礼拝する際に自身の属性に集中し、精神的な道における潜在能力を発展させるのを助けるために使用されるとしている[21][22]。バハイの教えによれば、人間の目的は、祈り、内省し、他者への奉仕などの方法を通して神を知り、神を愛することを学ぶことである[21]

宗教

累進的な宗教的啓示についてのバハイの観念は、世界のよく知られた宗教の妥当性を受け入れることに帰結し、その創始者や中心的人物が神の顕示者とみなされる[23]。宗教の歴史は一連の制度として解釈され、各顕示者はより広範で高度な啓示をもたらし、それは聖典のテキストとして表現され、多かれ少なかれ信頼性をもって歴史を通して受け継がれるが、少なくとも本質的には真実であり[24]、それが表現された時代と場所に適している[18]。特定の宗教的な社会的教え(たとえば、祈る際の方向性や食事制限)は、その時代と場所により適切な要件が確立されるように、後の顕示者によって取り消されることがある。逆に、ある種の一般的な原則(たとえば、隣人愛や慈愛)は普遍的で一貫していると考えられている。バハイの信念では、この累進的な啓示のプロセスは終わらない。バハイは、バハオラの啓示から1,000年以内に神の新たな顕示者が現れるとは予期していない[25]

バハイは、自分たちの宗教は独自の聖典と法を持つ、他とは明確に異なる系統であり、他の宗教の宗派ではないと主張している[26]。この宗教は当初、その起源からイスラム教の宗派と見られていた。現在ではほとんどの宗教専門家が独立した宗教とみなしており、シーア派イスラム教におけるその宗教的背景は、キリスト教が確立されたユダヤ教の文脈と類似しているとみなされている[27]。バハイは、自分たちの信仰を独立した世界宗教と表現しており、その相対的な年齢と現代的な文脈において他の系統とは異なっている[28]

人間

バハイの書物は、人間には「理性的な魂」があり、それが神の地位と、その創造主と人間の間の関係を認識する独特な能力を人類に与えていると述べている。あらゆる人間は、神の顕示者を通して神を認め、顕示者がもたらした教えに従う義務があるとされる。認識と服従、人類への奉仕、定期的な祈りと精神的な実践を通して、魂は、バハイの信念における精神的理想である神に近づくとバハイの書物は述べている[29]。バハイの信念によると、人間が死ぬと魂は肉体から永久に切り離され、肉体世界での行動に基づいて判断される次の世で生き続ける。天国と地獄は、現世と来世における関係を表す、神に近いか遠いかの精神的状態であり、死後に達成される報酬と罰の物理的な場所ではないと教えられている[30]

バハイの書物は、人間の本質的平等と偏見の廃止を強調している。人類は、非常に多様ではあるが、本質的には一つであると見なされており、人種や文化の多様性は、感謝し受け入れる価値があるものと見なされている。人種差別、ナショナリズム、カースト、社会階級、ジェンダーに基づくヒエラルキーの教義は、和合への人為的な障害と見なされている[31]。バハイの教えは、人類の統合が現在の世界の宗教的・政治的状況における最重要課題であると述べている[18]

社会的原則

1911年から1912年にかけて、アブドル・バハが初めてヨーロッパとアメリカを旅したとき、彼はバハイ信教の基本原則を明確にする公の講演を行った[32]。これらは男女平等、人種の一体性、世界平和の必要性、その他20世紀初頭の進歩的な思想についての教えを説くことを含んでいた。バハイの教えの出版された要約には、これらの原則のリストが含まれていることが多く、リストは言葉遣いや含まれている内容によって様々である[33]

バハイによって古くからの真理とみなされる人類の一体性の概念は、多くの考えの出発点である。たとえば、人種の平等や極端な貧富の差の解消は、その一体性の意味することである[34]。この概念のもう一つの発展は、統一された世界連邦の必要性であり、その実現を促すためのいくつかの実際的な提言は、普遍的な言語、標準的な経済と測定システム、普遍的な義務教育の制定、国家間の紛争を解決するための国際仲裁裁判所の設立を含む[35]。世界平和の追求に関して、バハオラは世界を包含する集団安全保障の取り決めを規定した[36]

その他のバハイの社会的原則は、精神的な和合を中心に展開している。宗教は時代から時代へと進歩するものとみなされているが、より新しい啓示を認識するためには、伝統を捨て、独自にその啓示を探求しなければならない。バハイは宗教を和合の源として、宗教的偏見を破壊的なものとして捉えるように教えられている。科学はまた、真の宗教と調和するものと見なされている[33]。バハオラとアブドル・バハは、戦争のない統一された世界の実現を呼びかけたが、彼らはまた、長期的には、恒久的な平和(最大平和)の確立と「圧倒的な堕落」の浄化には、物質文明を補完する精神的な美徳と倫理を持つ普遍的な信仰の下で世界の人々が和合することが必要であることを予期している[36]

1921年から1957年まで宗教の長であったショーギ・エフェンディは、バハオラの教えの際立った原則と考えられるものを以下のように要約し、『アグダスの書』の法と規定とともにバハイ信教の基盤を構成していると述べている。

迷信や伝統にとらわれず、真理を独自に探究すること。全人類の一体性、これが信教の極めて重要な原理であり基本的な教義であること。すべての宗教の基本的な一体性。宗教的、人種的、階級的、国家的など、いかなる形式であれ、あらゆる偏見を非難すること。宗教と科学の間に存在すべき調和。人類という鳥が飛翔するための両翼である男女の平等。義務教育の導入。世界共通の補助言語の採用。極端な貧富の差の廃止。国家間の紛争を裁くための世界裁判所の設置。奉仕の精神で行われる労働を崇拝の地位に高めること。人間社会を支配する原理としての正義と、すべての民族と国家を保護する防波堤としての宗教を称揚すること。そして、全人類の至高の目標としての恒久的かつ普遍的な平和の確立、これらが(バハオラの宣言した)本質的な要素として際立っている。

[37][38]

聖約

バハイは和合を非常に重視する。バハオラは共同体をまとめ、意見の相違を解決するためのルールを明確に定めた。この枠組みの中で、個々の信者は聖典の「霊感を受けた」または「権威ある」解釈を提案することはできず、個人はバハイの聖典で確立された権威の系統を支持することに同意する[39]。この実践により、バハイ共同体は統一され、深刻な分裂は避けられた[40]。万国正義院は、バハイの間の意見の相違を解決する最終的な権威であり、十数件の分裂の試み[41]は、すべて消滅するか、あるいは極めて小規模にとどまり、その試みに影響を受けた信者の数は合わせて数百人である[42][43]。このような分裂の信奉する者は、聖約の破壊者とみなされ、敬遠される[44]


  1. ^ バハイ信教は、「宗教」、「宗派」[2]、「比較的新しい宗教」[3]、「世界宗教」[4]、「主要な世界宗教」[5]、「巨大宗教」[6]:2:4、「独立した世界宗教」[7]、「新宗教運動」[8]、「代替宗教」[9]、など様々に表現され、他にも(確立された宗教と比較して)新しく、主流ではなく、人種や国家に焦点を当てていないことを伝えようとしている。
  2. ^ 情報源はバハイ信教が広めようとしていることとして、次のように要約している。「すべての宗教の本質的価値、すべての民族の和合、男女平等」[10]、「すべての宗教の本質的和合と人類の和合」[11]、「人類の精神的統合と平和と普遍的教育を提唱」[6]:2:653、「神の下でのすべての民族の和合」[5]、または「宗教的和合。 ...人類の一体性...人種、民族、性別、社会階級に関係なく、すべての人間の平等」。
  3. ^ すべてのレズワン・メッセージはBahai.orgで見ることができる。日本語は、バハイ・オンライン・ライブラリー(www.bahaijp.org/library/uhj.htm)で見ることができる。
  4. ^ これと一致するのは、政府が、深刻な経済的困難を含む、より深刻な問題から注意をそらすために、このキャンペーンを奨励したという考え方である。これを超えて、ムサディクを支持していた民族主義運動を利用する上で政権が直面していた困難があった[163]
  5. ^ 在アルゼンチン・イラン大使館の代表者は、バハイが「誤ったグループであり...世界的シオニズムとの提携や関連は明らかな事実」であり、「キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教のような少数派と同じ範疇に入れることはできない」という事実によって排除が促されたと説明した[161]:22, n. 148
  6. ^ イランの指導者ナセル・アルディン・シャー・カジャールは、バハオラをイランからオスマントルコ帝国に追放した。その後、バハオラはオスマントルコ帝国のスルタンに追放され、イランのシャーの命令で、イランからさらに離れた領土に追放され、最終的には、わずか1世紀後にイスラエル国家に編入されたアッカに追放された。





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