ネクロノミコン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 23:33 UTC 版)
重要な初期作品
ラヴクラフト作品を列挙する。括弧の中は執筆年/発表年。
- 魔犬(1922/1924)、魔宴(1923/1925)、クトゥルフの呼び声(1926/1928)、チャールズ・ウォードの奇怪な事件(1927/没後1941)、末裔(1927/没後1938)、ネクロノミコンの歴史(1927/没後1938)、ダニッチの怪(1928/1929)、銀の鍵の門を越えて(1933/1934)、本(1933/没後1938)
フランク・ベルナップ・ロングの『喰らうものども』(1928)は、非ラヴクラフトによるクトゥルフ神話1号作品であり、冒頭にネクロノミコンディー博士版からの引用文を掲げた[13]。またクラーク・アシュトン・スミスは『妖術師の帰還』(1931)にてネクロノミコンアラビア語版を登場させた[14]。ロバート・E・ハワードは『夜の末裔』(1931)にてネクロノミコンギリシャ語版を読んだ人物を登場させ、また『屋根の上に』(1932)では無名祭祀書初版本をネクロノミコンギリシャ語版並の稀覯書であると言及している。
スミスは魔道書「エイボンの書」を創造し、アルハザードがエイボンの書を読んでいた可能性を示唆した[15]。またハワードは魔道書「無名祭祀書」を創造し、著者フォン・ユンツトがネクロノミコンギリシャ語版を読んでいたことを示唆した[16]。
ネクロノミコンは初期辞典『クトゥルー神話小辞典』『クトゥルー神話の魔道書』でも解説されており、全魔道書中最大の解説量が割り当てられている。
ネクロノミコンの再現
「ネクロノミコン」を再現しようとする試みはラヴクラフトの存命中からあり、ジェイムズ・ブリッシュがラヴクラフトに提案したこともある。ネクロノミコンは最低でも770ページくらいあり[注 6]、それほどまでに大部な書物を著すのは自分の手に余るとラヴクラフトは1936年6月3日付の手紙でブリッシュに回答したが[17]、ネクロノミコンと称する本が熱心なラヴクラフトのファン達によって実際に刊行されたことは何度かある。
1946年、ニューヨークで古書店を営んでいたフィリップ・ダシュネスがラテン語版「ネクロノミコン」を販売目録に追加して375ドルの値をつけた。そのことをウィンフィールド・タウンリー・スコットが『プロヴィデンス・ジャーナル』の記事で取り上げたため、ダシュネスは冗談を謝罪している[18]。
1973年には、アウルズウィック・プレスが[19]贋作と明言した上で『アル・アジフ』を出版。これは全ページをアラビア風文字[注 7]の無意味な羅列で埋め尽くしただけのもので、コレクターズアイテム以上のものではなかった。
1978年、ジョージ・ヘイとコリン・ウィルソンが、16世紀ジョン・ディー版からの翻訳というふれこみで『魔道書ネクロノミコン』を出版[20]。この本には、実在しているジョン・ディーの暗号文書をコンピュータ解析によって解読した「というもの」が載せられている。その内容は「驚くべき事に」、ジョン・ディーの時代より数百年後に描かれたラヴクラフトのクトゥルフ神話の内容と合致している。この解読結果が作者や関係者のネクロノミコンに対する所見や解読に至るまでの経緯などと共に、『ネクロノミコン断章』と銘打たれて収められている。
リン・カーターはジョン・ディー博士に仮託してネクロノミコン英語版からの「抜粋」を大量に執筆しており、それらはカーター没後の1996年にケイオシアムから刊行されたアンソロジーにまとめられており[21]、邦訳もされている[22]。
それまでに出版されたネクロノミコンに不満を感じていたドナルド・タイスンは、2004年に『ネクロノミコン アルハザードの放浪』を出版。ラヴクラフトが作中においてネクロノミコンからの引用として記述した文章を全て盛り込み、より設定に忠実な再現を試みている。
他に『ネクロノミコン』のタイトルを持つ有名な書籍として、スイスのシュールレアリズム画家H・R・ギーガーが1977年に出版した作品集があり、収録作の一つ「ネクロノームIV」に描かれた異形の怪物が後の『エイリアン』[注 8]のベースとなった。
関連項目
- 1 ネクロノミコンとは
- 2 ネクロノミコンの概要
- 3 重要な初期作品
- 4 脚注
- 5 文献資料
- ネクロノミコンのページへのリンク