タデウス・ロー 民間事業への復帰

タデウス・ロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/07 06:40 UTC 版)

民間事業への復帰

ローはマラリアの余韻と戦争の疲れからの快復に努めた。ローとレオンティンはジェファーソンに戻り、家族との時間を過ごした。1863年秋にワシントンに1ヶ月戻り、陸軍長官に提出する戦時報告書を完成させ、その後はバレーフォージに農場を買って、農作業で自分を取り戻すことができた[26]

ローが開発した空中偵察の進歩した技術は世界中に影響が及び、イギリス、フランスさらにはブラジルまでもその軍隊のために気球司令部を組織できるならば、少将の位を提供すると申し出てきた。ローは戦争が懲り懲りだと考えその申し出を辞退したが、移動用ガス発生器を含めた装置ごと気球を各国に送った。それらの軍事専門家に助言を与え、最善の操縦者としてアレン兄弟が手助けできるよう手配した[27]

ローは南北戦争の間に郡の気球基地周辺を嗅ぎ回っていた1人のドイツ人若者と出合った。この若者の名前はフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵といい、気球操縦に魅せられていることは同じだった。マクレラン将軍が全ての気球に同乗することを禁止していたので、ローはフォン・ツェッペリンをメリーランド州プールズビルに派遣して、母国語でその青年をもてなすことのできるドイツ人操縦助手のジョン・シュタイナーを訪問させた。フォン・ツェッペリンは1870年代にローの気球操縦技術の全てを問う為に再訪してきた。勿論この人物が、後にその名前を冠した操縦可能な飛行船を設計することになったフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵である[28]

ローはペンシルベニア州ノリスタウンに新しい家を建て、そこで水素ガスに関わる科学探求を続け、熱した石炭に蒸気を通して大量の揮発性燃料が得られる水性ガス生成法を改良し特許を取った。産業革命によって東海岸の家庭は暖房や照明が変革されていた。ローは「圧縮製氷機」を完成させたことなど製氷機に関する特許も幾つか持っており、これは低温保存産業を革新させた。さらにプラチナ・マントルを通してガスを燃焼させることで明るい照明を得られることを発見した(後にコールマン・ランタンとなった)[29]

ローは古い蒸気船を1隻購入して冷蔵設備を備え、ニューヨークからガルベストンまで新鮮な果物を運び、帰りは牛肉を運ぶ海運業を始めた。これは保存用に塩漬けにされていない新鮮な牛肉を人々が食べられるようになったことでは歴史上初めての出来事だった。その海運業は船の運航に関する知識が欠けていたために失敗したが、この事業は他の幾つかの国でも取り上げられた。

ローはまた、水素ガスで動く製品も製造した。これらを含め幾つかの特許でローは財産を築き上げた。これらの成果に対し、人類にとって最も有益な発明に与えられる「エリオット・クレッソン・メダル」という非常に栄誉ある賞を受賞した[30]


  1. ^ 彼の名前"Thaddeus"の発音は不明である。本項では便宜上「タデウス」と表記しているが、『気球の歴史』(レナード・コットレル著、西山浅次郎訳、大陸書房、1977年)のように、英語式の「サディアス・ロウ」表記を採用する資料もある。
  2. ^ Block, Eugene, Above the Civil War, p. 13.
  3. ^ Block, p.12.
  4. ^ Hoehling, Mary, ‘’Thaddeus Lowe America’s One-Man Air Corps’’, pp. 9-10.
  5. ^ Block, p. 15.
  6. ^ Both Block and Hoehling talk about Lowe laying belly down in front of a “pine knot stoked fire.”
  7. ^ Block, pp. 15-16.
  8. ^ Hoehling, p. 29. ローはコンスタンティンの代わりに響きの良い名前であるクーリンコートを使ったと見られている。
  9. ^ Hoehling, p. 33.;Block, p. 21.
  10. ^ Hoehling, p. 35.
  11. ^ Hoehling, p. 38
  12. ^ この頃の「教授」の肩書きは科学分野で専門性を開拓した者に、そのような呼称を与えた新聞記事から公式に得られるものだったことに注意。
  13. ^ Hoehling, p. 59.
  14. ^ Hoehling, pp. 50-51.
  15. ^ Hoehling, pp. 54-61.
  16. ^ Block, p.37.
  17. ^ BlockとHoehlingの2人共、ローが北軍のスパイとして投獄されたと書いた。Mary Hoehlingは、この主題に関する章を「最初の戦争捕虜」という題にした。多くの者はローがこの出来事で戦争捕虜になったと考えている。専門語の戦争捕虜とは軍事行動で敵対する軍隊に捕らえられた軍事関係者である。ローは町の群衆に捕まえられた民間の気球乗りであり、北軍スパイの可能性があるとして拘束された。スパイは軍事関係者ではなく、即決の処刑に課されることになる。戦争捕虜の場合とは大きく異なっている。
  18. ^ Hoehling, pp. 107-108.
  19. ^ ローがアメリカ合衆国陸軍長官に宛てた公式報告書では、気球司令部の組織に関する全ての出来事や通達が述べられているが、その中には決して発令されることの無かった期待する任命書の受領書も含まれていた。
  20. ^ Lowe's Official Report Part I.
  21. ^ Hoehling, pp. 148-149.
  22. ^ Hoehling, p. 153.
  23. ^ Hoehling, p.165.
  24. ^ Lowe’s Official Report Part II.
  25. ^ Lowe's Official Report Part II
  26. ^ Block, p.106
  27. ^ Block, p. 107.
  28. ^ Hoehling, p.159.
  29. ^ Hoehling, pp. 174-175.
  30. ^ Hoehling, p.176.
  31. ^ All text on the Mount Lowe Railway is summarized from Mount Lowe: the Railway in the Clouds, Charles Seims.
  32. ^ The Altadena Historical Society, Altadena Heritage, and the Pasadena Historical Museum have all put on "cemetery tours" at Mountain View Cemetery by which many of the interred personalities are resurrected in the form of an actor-impersonator who stands by the grave sites and relates stories of the celebrity in the first person. Mike Manning of Magi Media has been regarded as the only impersonator to accurately portray Professor Lowe.






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