クレアルコス クレアルコスの概要

クレアルコス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
クレアルコス
Κλέαρχος
生誕 前450年ごろ
スパルタ
死没 紀元前401年
バビロン
所属国 スパルタ
テンプレートを表示

生涯

ペロポネソス戦争の後半に行われたデケレイア戦争で頭角を現し、紀元前409年以降、へレスポントス一帯のスパルタ軍の指揮を行った。紀元前408年にはへレスポントスでアテナイ軍を打ち破るも、市を失った[1]

紀元前403年には本国の命令に従わなかったことが原因で死刑を宣告されてしまい、アケメネス朝ペルシアの小アジア総督であった小キュロスの元に亡命した。クレアルコスは彼の下でギリシア人傭兵部隊を組織することとなった[1]

クレアルコスは紀元前401年クナクサの戦い小キュロス軍に従軍し、ギリシア人傭兵の指揮を務めた。この戦いで小キュロスは敵対するアルタクセルクセス2世がいる中央部分を突破するために最強のギリシア人傭兵をそこに配しようと考えていたようであるが、傭兵を指揮するクレアルコスは敵の包囲攻撃を警戒し、右翼側にあるユーフラテス川に接するように自分の部隊を配してしまった[1]。このことが原因で、両軍がお互いを確認できるほどに接近してもなお、小キュロス軍は左翼軍の準備が整わなかったとされる。小キュロスは自軍の戦列が組まれるのを後方で見ていたが、クレアルコスを止めることはしなかったようである。この戦いで小キュロスは戦死した[1]

クレアルコスはクナクサの戦いの後、アケメネス朝ペルシアとの交渉に立つも捕えられ、ついに処刑された[1]

参考文献

市川定春『古代ギリシア人の戦争 会戦事典 800BC-200BC』(2003年、新紀元社)

脚注

[脚注の使い方]



「クレアルコス」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クレアルコス」の関連用語

クレアルコスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クレアルコスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクレアルコス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS