クリストル・ブストス クリストル・ブストスの概要

クリストル・ブストス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 02:12 UTC 版)

獲得メダル
 アメリカ合衆国
女子 ソフトボール
オリンピック
2000 シドニー
2004 アテネ
2008 北京
パンアメリカン大会
1999英語版 ウィニペグ
2003英語版 サントドミンゴ
2007英語版 リオデジャネイロ

本職は三塁手だが、指名選手として出場することが多い。

日本のマスコミで「バストス」と表記するものもあるが、米国のテレビ中継、および本人の自己紹介インタビューによれば本来の発音は「ブストス」に近い。同僚からは「ブー」というあだ名で呼ばれている。

経歴

ソフトボールアメリカ代表のみならず女子ソフトボール界を代表する強打者である。3大会連続でオリンピックに出場し、金メダル2回、銀メダル1回。ワールドカップ・オブ・ソフトボールパンアメリカン競技大会などでも活躍した。

長打力は群を抜いており、シドニーオリンピックでは大会中に6本塁打を打ち、世界記録を打ち立てた。アテネオリンピックでは5本塁打、北京オリンピックでも再び6本塁打を打った(そもそも女子ソフトボールでフェンスオーバーの本塁打を打てること自体が異例)。

北京オリンピックでは6本塁打の他にも22打数11安打(打率.500)、10打点出塁率.607、長打率1.318、OPS1.925(いずれも個人1位)という圧倒的な成績を残した。日本代表との試合でも予選・準決勝・決勝の3試合全てで本塁打を打ち、この活躍から日本でも大きく知名度を上げた。表彰式後に日米豪の選手達がボールで「2016」と描き、ソフトボールの五輪種目復帰を訴えたが、これは彼女の提案であるという[要出典]

上野由岐子は「私からホームランを打てるのはブストスだけ」と評し、ブストスも「私から三振を奪えるのは上野だけ」とやり取りしていた。事実、北京オリンピックでは大会中唯一の三振を上野から奪われており、上野の大会中唯一の被本塁打もブストスからである。

北京オリンピック終了後に国際大会から引退することを表明。

現役時代に所属したアメリカ合衆国の女子プロソフトボールリーグ、ナショナル・プロ・ファストピッチアクロン・レーサーズ英語版では、ブストスの背番号6が永久欠番になっている[1]

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