ギルガメシュ叙事詩 叙事詩に採用されなかった物語

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ギルガメシュ叙事詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/28 14:44 UTC 版)

叙事詩に採用されなかった物語

ギルガメシュとアッガ』『ギルガメシュの死』という2つの説話は、叙事詩では全く伝えられていない。前者は歴史的物語、後者は名の通りギルガメシュの最期にまつわるエピソードである。

ギルガメシュとアッガ

キシュの王アッガはウルクの王ギルガメシュに使者を送った。使者たちは「井戸を空にすること」という難題を命じる。これはウルクの人々がキシュのために水汲みの労働をすること、間接的に「ウルクはキシュに屈伏すべき」という意味を含んでいる[43]

ギルガメシュが「我々は屈伏するまい[注 16]」と言うと、長老たちは「屈伏しよう」青年たちは「屈伏するな」と答えた。その間にウルクがキシュに包囲されると、1人の勇敢な男がギルガメシュの伝言を伝えるため城外へ出て、キシュ兵の前に連行される。官位が様子を見やりに城壁から顔を出すと、アッガは「あれが王か」と勇敢な男に問う。彼が「王ではありません」と答えると、キシュの群衆はひるむことも逃げることもしそうになかった。勇敢な男が捕虜となりそうになる手前、ギルガメシュが城壁に登った途端に恐ろしい輝きがウルク中を覆い、ウルクの戦士たちは奮って武器を手にし、エンキドゥは城門を蹴飛ばし出て行った(しかし連行される)。そしてギルガメシュは姿をさらし、アッガが彼を視界に捉えると「あれが王か」とエンキドゥに尋ね、エンキドゥは「まさしく王です」と回答。瞬間、キシュの群衆は打ちのめされ、逃げ去り、全ての他国民が震え上がる。ギルガメシュは「アッガよ、貴方は逃げてきた私に魂をくれた。貴方は私に生命をくれた。私は昔日の恩寵を、シャマシュの前で貴方に返しました[注 17]」と言ってアッガを捕らえることはせず、キシュへ帰ることを許した。

  • 物語はギルガメシュを讃えたところで終結する。『シュルギ王讃歌』やシュメール王名表によれば、エンリルが起こした大洪水後、王権はキシュに降りたが、その後ギルガメシュがアッガに戦勝したことでウルクに王権が移ったと伝えられている。この背景を踏まえて物語を振り返ってみると、『ギルガメシュとアッガ』が史料的・歴史的事実の反映を伝えているのは明らかである。叙事詩から除外されたのも、他の書版と比較して英雄的であるというより幾分か歴史的であるということが影響した。
  • 物語にはイナンナ(イシュタル)が関与しており、『ギルガメシュとアッガ』は「論争詩」というシュメール文学の一分野に筋立てされた、論争的モチーフで描かれている。イナンナがギルガメシュとアッガ、どちらが自分に相応しいかを軍神としての視点から観察しており、更にはギルガメシュの手指が綺麗であるという観点から、イナンナが女性目線で好む男性はギルガメシュの方ではないだろうか、という彼女の主観が示されている[44]
  • 論争的モチーフを介して都市と都市の対立を語る作品であると認められながらも、『ギルガメシュとアッガ』に安易に史実を見出してはならないとの指摘もある。ギルガメシュの人間離れした英雄性を伝えるという点では、叙事詩の枠を飛び越えれば数あるシュメール文学の中で比肩しても明確には孤立しておらず、孤立していたとしてもそれが史実の反映に直結するとは言えない。故に戦争や征服に関する客観的な記録ではなく、ギルガメシュの英雄的功業を讃えることやイナンナの好意を競うことに主題を見出すことも可能である[45]

ギルガメシュの死

ギルガメシュは不老不死の秘薬を求める旅から帰国した後も王として国を治め、城壁を完成させるなど成すべきことを果たしたとされている[46]。ギルガメシュは死が近くなるとエアの薦めで墓の造営に取り組み、冥界の女神エレシュキガルの住まう宮殿の神々に供物を捧げて眠りについた。王の最期をウルクの民は嘆き悲しみ、その死を悼んだ。

  • 死者を弔うことや副葬品を用意することの意味が間接的に伝えられるが、物語の主人公が死んでしまってはまとまりが悪いとして、叙事詩に取り入れられることはなかった。代わりに第8版で描かれたエンキドゥの埋葬が対応している[47]

注釈

  1. ^ ルガルバンダのような祖先神としての意味合いが強い守護神とは別に、個人を守護する「個人神」。古代メソポタミアでは、男児には誕生と同時に個人神があてがわれた。 月本(1996)pp.194,197,注p.18)
  2. ^ 王の務めである神殿の建設などによい資材は欠かせなかったが、古代の南部メソポタミアでは森が枯渇していた。
  3. ^ 当時のシュメール・アッカド地方の言葉で「護符」に当たる単語はなく、「アミュレット」と呼ばれていた。アミュレットは幸運をもたらしたり厄を払うとされる、守護力を持ったいわゆる"魔除け"のことである。自然素材や加工品などを用い、置物にしたり身に付けたりするが、アミュレットとは別に権力者であることを示す色石や貴金属なども護身に繋がると信じられ、身を飾ることは身を守ることと同義であった。 月本(2011)pp.16,104
  4. ^ 目的地は西方となっているが、一説には東方に位置するザグロス山脈にあたる地域でもあるとされている。 岡田・小林(2008)p.239
  5. ^ または13の風。 月本(1996) p.59
  6. ^ イシュタルの悪癖が明らかにされる貴重なシーンだが、このときギルガメシュが発した雑言の数々は、ほとんどが推定的な訳となっている。 矢島(1998)p.244
  7. ^ 讃えられるのはギルガメシュのみであり、それを本人が望んだ、という解釈もあり、そういったことから「友と平等に扱われなかった」としてエンキドゥが嘆く例もあるが(月本 p.p80,86 / pp.332-336)、2人が共に讃えられエンキドゥがギルガメシュに嫉妬するような描写も特に見当たらない書版も多い。
  8. ^ 普通、シュメールにおける地上の7大神は天神アヌ・風神エンリル・水神エアを筆頭に、月神シン・太陽神シャマシュ・金星神イシュタル・大地母神ニンフルサグを指すが、本件で集まったと確認できるのはアヌ・エンリル・エア・シャマシュの4名のみ。
  9. ^ 蜜(蜂蜜)はその特性から、古代文明の重要な儀礼で頻繁に使用されたことが知られている。
  10. ^ これは、大層な埋葬儀礼を施すことで死者が迷わず冥界へ赴けるように、の意。 月本(1996)p.101
  11. ^ アッカド語の「医術文書」に皮膚変色を患った者が快復した際の儀礼として、これと似たような叙述がある。曰く「患者は包帯を焼却し、太陽神シャマシュに蜜とバターの入った菓子らを供え、シャマシュの前に立ち、そして感謝する」。 月本(2011)p.35
  12. ^ マシュ(またはマーシュ)はアッカド語で双生児の意。ここではシャマシュが出入りする日の出の山のこと。 矢島(1998)p.192,月本(1996)p.328。
  13. ^ 2つの山の間は太陽(冥界を巡り日の出と共に現れるシャマシュ)が昇ってくる場所、つまり、マシュ山の麓が冥界に達していることを示している。 月本(1996)p.107
  14. ^ 樫の一種(月本 1996 p.295)
  15. ^ この、楽器(太鼓)或いは遊具(フープ・ローリング)とされる(アッシリア学者ベンノ・ランズベルガーによる仮説)、エルラグ(プック)とエキドマ(メックー)は、ギルガメシュが作ったとも言われる。 岡田・小林(2008)p.244(器具名は月本1996 p.295による)
  16. ^ ギルガメシュは「(ウルクの守護神であり軍神でもある)イシュタルを信頼し、キシュに立ち向かう」ことを決心した。 杉(1978)p.40
  17. ^ ギルガメシュはかつて庇護を求めてアッガの元へ亡命し、アッガはそれを受け入れたという。 杉(1978)p.42
  18. ^ 歌の部分は矢島文夫の訳詩(筑摩世界文学大系Ⅰ 古代オリエント集)に、語りの部分は山室静の著書(児童世界文学全集 世界神話物語集)に基づいた作品。
  19. ^ 1982年に「出発の巻」が、1983年に「帰郷の巻」が、それぞれ関西学院グリークラブにより初演されたが、当時はそれぞれ「前編」「後編」と題されていた。
  20. ^ 1992年に、合唱/関西学院グリークラブ 指揮/北村協一 ナレーション/青島広志にて、東芝EMIよりCDが発売されている。

出典

  1. ^ a b c d 矢島(1998)p.10
  2. ^ 月本(1996)p.3
  3. ^ ギルガメシュ叙事詩研究の第一人者に本当のギルガメシュ像について聞いてみた”. Pokke (2019年). 2020年4月12日閲覧。
  4. ^ Hay, Noelle. "Evolution of a sidekick," SFFWorld.com (2002).
  5. ^ George (2003). The Babylonian Gilgamesh Epic. Oxford University Press 
  6. ^ a b 月本(1996)p.283
  7. ^ 矢島(1998)p.145
  8. ^ 矢島(1998)pp.138-144
  9. ^ 月本昭男 (1996). ギルガメシュ叙事詩. 岩波書店 
  10. ^ a b c d e f g 岡田・小林(2008)p.224
  11. ^ A. George, The Babylonian Gilgamesh Epic, 2003
  12. ^ 矢島(1998)p.63
  13. ^ 矢島(1998)p.188
  14. ^ 松村(2015)p.232
  15. ^ a b c d e f g 岡田・小林(2008)p.16
  16. ^ 岡田・小林(2008)p.248
  17. ^ 三笠宮(2000)p.251
  18. ^ 月本(1996)pp.21,84
  19. ^ 矢島(1998)p.117
  20. ^ 矢島(1998)p.128
  21. ^ A. George (2014). “Back to the Ceder Forest”. Journal of Cuneiform Studies 66: 69–90. 
  22. ^ 渡辺和子 (2016). “『ギルガメシュ叙事詩』の新文書―フンババの森と人間”. 『死生学年報2016』: 167-180. 
  23. ^ 矢島(1998)p.238
  24. ^ 矢島(1998)pp.194-195
  25. ^ 矢島(1998) pp.156,189
  26. ^ 月本(1996)p.115-116
  27. ^ 松村(2015)p.233
  28. ^ 三笠宮(2000)p.248
  29. ^ 松村(2015)p.217
  30. ^ 月本(1996)p.35
  31. ^ 月本(1996)pp.37-40
  32. ^ 矢島(1998)p.65
  33. ^ 岡田・小林(2008)p.239
  34. ^ 月本(1996)p.195/注p.17
  35. ^ a b 矢島(1998)p.161
  36. ^ 岡田・小林(2008)p.240
  37. ^ 月本(1996)p.334
  38. ^ 月本(1996)p.85
  39. ^ 矢島(1998)p.135
  40. ^ 月本(1996)p.156
  41. ^ 月本(1996)p.4
  42. ^ a b c 岡田・小林(2008)pp.243-247
  43. ^ 岡田・小林(2008)p.252
  44. ^ 岡田・小林(2008)p.255
  45. ^ 前田(2003)pp.138-144
  46. ^ 岡田・小林(2008)pp.iii,259
  47. ^ 岡田・小林(2008)p.250
  48. ^ 月本(1996)pp.307-313
  49. ^ 矢島(1998)p.199
  50. ^ 金子(1990)p.39
  51. ^ 前田(2003)p.141
  52. ^ 月本(1996)p.313
  53. ^ 矢島(1998)p.198
  54. ^ 月本(1996)p.324
  55. ^ 月本(1996)p.332
  56. ^ a b 月本(1996)pp.338-339
  57. ^ 月本(2011)p.63
  58. ^ 岡田・小林(2008)p.iii






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