キト 歴史

キト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 06:37 UTC 版)

歴史

1757年のキト

キトの発祥は紀元1000年以前までさかのぼることができる。当時、その一帯は遊牧民たちの遊牧する土地であったが、その後今のキトの位置に市が開かれた。

15世紀末にはインカ帝国の支配下に置かれ、11代インカ皇帝ワイナ・カパックの母親が当地の出身だったため、帝国の第二の首都として整備されることとなる。第一の首都であるクスコからキトまでは、インカ道が通された。しかしその後、帝国ではクスコ派とキト派との対立が深まり、ワイナ・カパックの死後、帝国は2人の息子により分けられ、ワスカルがクスコを中心に帝国の大部分を、そして、アタワルパがキトを中心に北部を治めることとなる。

その後起こった内戦で勝利を収めたアタワルパは、キトからクスコへ向かう途中、侵略してきたスペイン人の捕虜となり、処刑される。そしてキトは、スペイン軍の侵略を防ぐために、アタワルパの武将であったルミニャウィによって破壊された。

結局、インカ人の反乱は制圧され、フランシスコ・ピサロは1534年、キトへの殖民を開始。街は「サン・フランシスコ・デ・キト」と名づけられた。 地元民は改宗させられ、教会の建設などに酷使された。そしてその後300年にわたり、キトはスペインの植民地として支配されることとなる。

1800年代初頭には人口1万人を数える都市に成長していたキトだが、そのころにはスペインからの独立の気運が高まってきていた。1809年8月10日には独立を宣言をするに至った。しかし、その運動は、1810年にリマから派遣されたスペイン軍により鎮圧されることになる。

にもかかわらず、その後も運動は続き、救援に来たアントニオ・ホセ・デ・スクレが1822年にスペイン軍にピチンチャの戦いで勝利したことで、スペインからの独立を勝ち取り、大コロンビアの一部となる。1830年にはそこから独立したエクアドルの首都となる。


  1. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年4月7日閲覧。


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