オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴルの概要

オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 15:11 UTC 版)

オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル
フランス
ル・アーヴルの町並み
英名 Le Havre, the City Rebuilt by Auguste Perret
仏名 Le Havre, la ville reconstruite par Auguste Perret
面積 133 ha(緩衝地域 114 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2),(4)
登録年 2005年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
使用方法表示

背景

第二次世界大戦が始まると、ル・アーヴル港はイギリス軍の補給基地として利用されたが、1940年6月から始まったドイツ軍による侵攻によって、イギリス軍は撤退した。そしてフランス降伏ののち、街は対英攻撃(アシカ作戦)を準備していたドイツ軍に占領された。

1944年9月5日から6日にかけて、戦時中の最も苛烈な爆撃がイギリス空軍によって遂行された。これは占領中のドイツ軍を弱体化させ、3ヶ月前にノルマンディに上陸していた連合国軍の補給を容易にすることが目的で、中心市街と港を攻撃の対象としていた(タブラ・ラサ作戦)。都市は1944年9月まで休みなく続いた爆撃にさらされ、死者5000人、家屋の破壊12500戸、家を失った者80000人の被害を出した。

空襲と艦砲射撃と市街戦で破壊されたル・アーヴルの廃墟(1994年冬)

中心市街は廃墟となり、連合国軍によって解放されたときには、ル・アーヴルはヨーロッパの都市のなかで最大級の惨状を呈した都市のひとつであった。今日、連合軍のこの作戦の軍事的な利点は、再び問い直されている。ル・アーヴルにとっての解放は非常に苦いものであり、住民たちの記憶に強く刻印されることとなった。

再建

1945年春に、都市再建省 (le Ministère de la Reconstruction de l'Urbanisme) は、ル・アーヴル中心市街の再建を、オーギュスト・ペレの工房に委託した。ペレは、古い建物が何もないまっさらな状態を作り、そこに新都市建造のための古典主義的諸理論を適用したいと考えていたところだった。この再建の資材として考慮されていたものは、コンクリートだった。

1945年から1964年にかけての再建は、その再建範囲の広さ、ペレ工房の理論的統一性、一連の都市計画、プレハブ工法の適用などによって、再建された都市の中でも特異な歴史を体現するものであった。同時に、建築史と都市史において、20世紀の最も顕著な例証といえるのである。

計画

再建後のル・アーヴルの地図
再建中のル・アーヴル(1948年)

中心街の計画は直交を基軸とするものである。横に走る街路は幾何学的に配置され、[[街は碁盤目状になっている。こうした規則性は、古代エジプトのアレクサンドリアポンペイ条坊制都市など、古代の都市の多くで見られたものである。日本の北海道や北アメリカの都市にも、マンハッタンサンフランシスコ中心業務地区などに見ることが出来る。

しかし、碁盤目状の地形図は、いくつかの理由からこの都市の街区に厳格には適用されなかった。中心街の西を斜めに走り三角形を形成しているフランソワ1世大通り (le boulevard François Ier) もその一例である。また、戦火をまぬかれた歴史的建造物類も、碁盤目状の区画を妨げる一因となった。市街地南東の運河に囲まれたサン=フランソワ地区はフランソワ1世により建設された市内最古の地区であり、ペレによる再建案は実現されず戦争前の街路に沿ってレンガ造りでの再建が行われた。

そうした例外はあるものの、都市計画の観点では、ル・アーヴルの碁盤目状計画は、都市空間を厳格に組織し、風通しのよい直線的な街路に、整然と住宅のファサードを並べることを可能にした。碁盤目の横の長さは6.24mを基準としてその整数倍とされており、これは当時のコンクリートの梁の長さにとって最適な範囲が企図されたものである。こうした抜本的な都市計画の実現は、度重なる爆撃によって中心市街の多くが更地と化したことで可能になった。中心街のかつての姿は今日では見る影もない。現在の主要幹線道路は次の3つである。

  • 北には、19世紀の街区であったストラスブール大通り (le boulevard de Strasbourg) を延長し、オケアノス門 (Porte Océane) に至る。東西のフォシュ通り (l'avenue Foch)
  • 港には、市庁舎につながっているパリ通り (La rue de Paris)
  • 西にはフランソワ1世大通り

  1. ^ MdN編集部『一度見たら忘れない奇跡の建物 異彩を放つ世界の名建築100』エムディエヌコーポレーション、2017年、131頁。ISBN 978-4-8443-6644-7 


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