エンポリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 15:04 UTC 版)
名称
Empoli は [ˈempoli] と発音される。「エンポーリ」と表記されることもあるが、イタリア語では第一音節にアクセントがある。
地理
位置・広がり
アルノ川によって形成された平野の南側の、フィレンツェの約25km西南西に位置する。[4]平野は、古代ローマ時代から農業に使用されている。川を離れるとコムーネの領域は小高くなる。エンポリは、フィレンツェとピサを結ぶ主要鉄道線上にあり、シエナへの路線の分岐点がある。エンポリは農業の中心地として現在に続く伝統があり、地元産アーティチョークの品種名にもなっている。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のPIはピサ県所属を示す。
歴史
エンポリは、ローマ帝国初期には入植地となっており、紀元4世紀まで存続したことが、出土品によって明らかになっている。アルノ川は、農産物や地元製のアンフォラの交易ルートとして利用された。4世紀のタブラ・ペウティンゲリアナでは、エンポリは「in portu(港内)」と呼ばれ、フィエーゾレとフィレンツェからピサに通ずるローマの道「Via Quinctia」の河港となっていた。エンポリはまた、ヴォルテッラの塩湖に続く「Via Salaiola」上にも位置していた。
8世紀以降、エンポリは拡大して城を中心とする町となり、「エンポリウム」または「エンポリス」と呼ばれた。1119年には、グイーディ伯領に併合された。1182年には、町はフィレンツェの支配下となった。1260年、モンタペルティの戦いの後、エンポリでは、ファリナータ・デッリ・ウベルティがフィレンツェの破壊に反対した有名な会議が行われた。
後のエンポリは重要な要塞となり、そのために攻撃や略奪が繰り返された。1530年には、エンポリ陥落により、フィレンツェ共和国の自治に終止符が打たれた。
行政
分離集落
エンポリには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- Brusciana, Casenuove, Corniola, Cortenuova, Fontanella, Marcignana, Martignana, Molin Nuovo, Monterappoli, Pagnana, Ponte a Elsa, Pianezzoli, Pozzale, Sant'Andrea, Tinaia, Villanuova
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2017 by sex and marital status” (英語). 2018年8月30日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Firenze (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年11月4日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Firenze (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年11月4日閲覧。
- ^ “地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2018年9月2日閲覧。
固有名詞の分類
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