イッソスの戦い 戦闘

イッソスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 08:55 UTC 版)

戦闘

ペルシア軍は、右翼と左翼に騎兵、中央にダレイオス率いるギリシア傭兵(ファランクス)・不死隊・近衛騎兵を配した。

これに対しマケドニア軍は、左翼にテッサリア騎兵、中央にパルメニオンの率いる重装歩兵(ファランクス)、右翼にアレクサンドロス率いる重装騎兵(ヘタイロイ)が布陣した。

まず海岸側のペルシア軍の騎兵が川を渡ってパルメニオンの部隊に襲い掛かり、戦闘が始まった。

アレクサンドロスの右翼は2年後のガウガメラの戦い同様戦闘の焦点となった 。左翼ではパルメニオンが数で優勢なペルシア軍の攻勢を支え、その間にアレクサンドロスは騎兵部隊を率いて前進し、敵の前線を突破する[8]。その後すかさず敵中央部隊を包囲するように攻撃した。まず、アレクサンドロスの率いる精鋭歩兵部隊は川を渡って攻撃し、ペルシア軍戦線に裂け目を作り出す役目を担った。アレクサンドロスが徒歩で川を渡ったのは、山に近い箇所では川岸が急斜面になっているため、騎兵が戦列を維持したまま渡河するのが、困難だったからである[9]。アレクサンドロスの迅速な攻撃が対岸のペルシア弓兵を無力化し、カルダケスの戦列を崩した。さらに歩兵部隊につづいてヘタイロイ騎兵部隊が続いて対岸に渡り、ペルシア軍最左翼のメディア人、ヒュルカニア人騎兵部隊を攻撃した[10]

一方、海岸側ではペルシア騎兵の大部隊がマケドニア軍を圧倒していた。しかしマケドニアの陣形が崩れそうになる度に、テッサリア騎兵は隊列を組み直し、突破される事を防いだ。海岸側において、ペルシア軍は数の上でマケドニアを圧倒していたが、わずか500mほどの範囲に3万ほどの兵力を集中させたために、十分な展開が出来ず、実際に交戦した騎兵は全体のごく一部に留まった[11]

アレクサンドロスはペルシア軍左翼を崩壊させると、自軍の中央と左翼が苦戦し、一方ペルシャのギリシャ人の傭兵部隊が崩壊している様子を知り、騎兵を左へと旋回させ、ペルシャ軍中央のダレイオスへと突進した。アレクサンドロス自身に攻撃され、ダレイオスは戦場から逃走した。ペルシャ人は自らの王が逃亡し、この戦いに負けた事を悟り、持ち場を離れて逃亡し始めた。マケドニアの騎兵は夜になるまで逃亡中のペルシャ軍を追撃し、ばらばらになって敗走するペルシア軍を掃討した。多くの古代の戦いと同様に、この戦いの後、ギリシャ人の追撃によるペルシャの虐殺が行われた。

この戦いは騎兵部隊の活躍によって全面的な勝利を収める事ができたが、近代に至るまでめったに見られる形ではなかった。マケドニアの騎兵がペルシアの右翼を突破して、中央の側面を攻撃することができた事がこの戦いの勝因であり、騎兵が戦闘における決定的な意義を持った戦いは、カンナエの戦い以外に見られないものであった[12]




  1. ^ Warry (1998) estimates Alexander's army to be 31,000 in total.[要ページ番号]
  2. ^ a b c Moerbeek (1997).[要ページ番号]
  3. ^ https://books.google.de/books?id=NECnIjWtIMEC&pg=PA241&lpg=PA241&dq=peltasts+ionia&source=bl&ots=g4Ng9S_6iC&sig=Jd8l5onclpgSsq8auD-
  4. ^ pothos.org - Major Battles”. 2007年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月19日閲覧。
  5. ^ Welman.
  6. ^ Welman estimates over 16% of the Hellenic army were killed.[要ページ番号]
  7. ^ ロビン・レイン・フォックス,2001,p325
  8. ^ ibliotheca Historica. p. 17.33–34.
  9. ^ 森谷 公俊,2013,p43
  10. ^ 森谷公俊、2000、p126
  11. ^ 森谷公俊,2000,p131
  12. ^ ロビン・レイン・フォックス、1973,p338
  13. ^ 澤田 典子,2013,p26


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