UNW旗揚げ
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1995年、セッド・ジニアス(悲しき天才)と改名し、UNW(United Nations Wrestling=国連プロレス)を旗揚げ。「プロレスとはスポーツと格闘技とエンターテイメントと芸術の集大成である」をポリシーに3カウントフォール、ギブアップの後に10カウント数えて、立ち上がれなければKO負けという完全決着ルールを採用。ポール・モーリア「オリーブの首飾り」、ジュディ・オング「魅せられて」を入場テーマ曲に選び、全身ハート模様で背中には金字で“天才”の刺繍の入ったガウンに身を包み、メイクをして真紅のバラを口にくわえ、ワインとグラスの乗ったトレイを片手に入場していた。入場シーンは独特の物であるが、試合はルー・テーズ直伝のオーソドックスな正統派レスリングでバックの取り合いや腕や足の取り合いから始まることが多く、大技の連発や他人の技は一切使わず、自分の得意技でフィニッシュするという独自の世界観を築いている。 1995年7月19日の東京・大田区体育館で旗揚げ戦。 1997年1月14日、東京・後楽園ホールでの相撲形式の巴戦「アイアンマン・コンテスト」で、ルー・テーズ道場のヘンリー・ロビンソン、マーク・フレミングと全7試合、一日5試合を闘い抜いて優勝。この日は口には一輪のピンクの薔薇にガウンは結婚式の内掛だった。 1998年4月4日のアントニオ猪木引退試合に「ルー・テーズが猪木は弱いと言っていた」と対戦相手に名乗りを上げる。 2000年にはテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に出演し先祖が武田信玄から戴いた古紋状を鑑定。3月、因縁のジョージ高野とUNWのリングで対戦し圧倒するもエプロンカウントアウトで敗れる。9月には“小さな巨人”グラン浜田と戦った。 2001年、米ミズーリ州在住の元NWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスと会談し、対戦が決定するも試合は中止となる。
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