MITS社設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 13:54 UTC 版)
詳細は「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」を参照 ロバーツは兵器研究所でフォレスト・ミムズと一緒に仕事をしていたが、二人ともモデルロケットに興味を持っていた。ミムズはアルバカーキ・モデルロケット・クラブの顧問を務めており、『モデル・ロケットリー』誌の発行者とロケット趣味者の会合で知り合っていた。これがきっかけとなり、『モデル・ロケットリー』誌の1969年9月号に「夜に打ち上げるモデルロケットに搭載するトランジスタ化された追跡用照明」という記事を寄稿した。ロバーツ、ミムズ、および研究室の同僚のスタン・キャグル、ボブ・ザラーは、モデルロケットの趣味者向けの電子機器キットを設計して販売することを決めた。ロバーツは会社の名前をリライアンス・エンジニアリングにしたかったが、ミムズはマサチューセッツ工科大学の略称の"MIT"が頭につく名前にしたいと考えていた。キャグルは、Micro Instrumentation and Telemetry Systems、略してMITSという名前を思いついた。彼らはモデルロケット用の点滅灯や送信機付きヨー軸角速度センサなどのキットを『モデル・ロケットリー』誌で宣伝したが、売れ行きはあまり良くなかった。 ミムズは、『ポピュラーエレクトロニクス』1970年11月号に掲載される予定の発光ダイオードの新技術についての記事を書いた。彼は編集者に、MITS社のプロジェクトの記事も欲しいかどうかを尋ね、同意を得た。ロバーツとミムズは、数百フィート離れた受信機に赤外線ビームで音声を送信するLED通信機を開発していた。MITS社は、この通信機のキットを同誌の読者向けに15ドルで販売し、100セット以上が売れた。 ミムズは、空軍を退役して、技術ライターの道へ進みたいと考えていた。ロバーツは他の創立者の出資分を買い取ってMITS社を自分の会社とし、会社の資源を電子計算機の新興市場に集中させた。
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