AMISOMによる奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:58 UTC 版)
「エル・バラフ」の記事における「AMISOMによる奪還」の解説
2016年2月、ソマリア政府軍とAMISOM軍は共同で、アル・シャバブが支配していたエル・バラフ村を支配。 2016年10月、アル・シャバブがエル・バラフの井戸を破壊。多くの住民は水源を求めて移動。水不足がきっかけで医療や教育などのサービスも低下。AMISOMは国際組織やNGOに清浄な水の提供を要請。 2016年11月、エル・バラフのAMISOM基地をアル・シャバブが襲撃。 2017年3月、ソマリア政府軍がエル・バラフでアル・シャバブのメンバーを逮捕。 2018年12月、氏族闘争が原因で15人以上が死亡。闘争はエル・バラフとジャララシ(英語版)の間で発生し、原因はジョハールでのカートの取引が原因とみられる。ソマリア連邦構成国であるヒーシェベリ政府が仲介のための会議を開催。 2019年9月、中部シェベリ地域のアダン・ヤバル地区(英語版)のAlkowsarから、アル・シャバブの使者としてエル・バラフに戻ってきた50名ほどが逮捕され、親族との接触を禁止された。 2019年10月、ソマリア政府軍兵士がエル・バラフで若い男を射殺。殺された男は有名な実業家の息子だった。ソマリア政府軍兵士による殺人事件は珍しいことではないとも報道された。 2020年10月、エル・バラフ近郊で地雷によりソマリア軍将校を含む3人が死亡。 2021年9月、アル・シャバブがエル・バラフのブルンジ軍基地を攻撃。 2021年10月、グリエルで戦闘があり、エル・バラフなどに国内避難民のキャンプが設けられた。 2022年5月、アル・シャバブがエル・バラフのブルンジ軍基地を攻撃。アル・シャバブ側の発表によればAU軍兵士170人を殺害したとされるが、ブルンジ軍側の発表によれば死者10人、行方不明5人。
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