4番艦以降の建造計画とは? わかりやすく解説

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4番艦以降の建造計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 02:43 UTC 版)

アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦」の記事における「4番艦以降の建造計画」の解説

1895年3月採用され1902年までの造艦計画によれば、更に4隻の同型艦建造する計画があった。1899年4月、この計画1898年の「極東艦隊向けの戦艦建造計画」と統合され、アドミラル・ウシャコフ級を基に極東艦隊向けの戦艦新たに設計されることになった。 アドミラル・ウシャコフ級改良型計画1897年10月海軍大臣パーヴェル・ティルトフ(ロシア語版)により技術委員会命じられた。特に堪航能力向上させるため、船首塔の機能船首内部移し装甲甲板舷側外板傾斜追加することが提案された。煙管ボイラーベルビル水管ボイラー置き換える計画であったが、研究携わったアポロ・クロトコフとニコライ・クテイニコフ(ロシア語版)は石炭積載量最大速力16ノット維持すべきと考えていた。 1899年4月アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は203mm速射砲装備した戦艦海防戦艦装甲巡洋艦概略作成命じた完成したそれに基づいてドミトリー・スクヴォーツォフ(ロシア語版)による技術検討が行われた。戦艦装甲巡洋艦の案は技術委員会によって却下されたが、海防戦艦提案採用され当時防護巡洋艦「ヂアーナ」の建造が行われていた新アドミラルティ造船所ドック建造されることが決定した1900年1月7日、ティルトフは新アドミラルティ造船所新型戦艦建造するためのドック増築命じ3月には造船総局から工事のための10万ルーブル予算下りた。 この戦艦ロシア装甲艦隊の生みの親ひとりである、グリゴリー・ブタコフ(英語版)に因んで「アドミラル・ブタコフ」と命名される予定であった。しかし1900年9月14日、ティルトフによって作業延期指示され、後に計画自体取り消された。建造のための資金別の建艦計画流用された。

※この「4番艦以降の建造計画」の解説は、「アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦」の解説の一部です。
「4番艦以降の建造計画」を含む「アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦」の記事については、「アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦」の概要を参照ください。

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