2012年自由民主党総裁選挙
2012年自由民主党総裁選挙
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「田母神俊雄」の記事における「2012年自由民主党総裁選挙」の解説
2012年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた。
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2012年自由民主党総裁選挙
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「百田尚樹」の記事における「2012年自由民主党総裁選挙」の解説
2012年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた。
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2012年自由民主党総裁選挙
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「安倍晋三」の記事における「2012年自由民主党総裁選挙」の解説
2011年11月27日に行われた大阪府知事選挙・大阪市長選挙のダブル選挙で、大阪維新の会幹事長の松井一郎が大阪府知事に、党代表の橋下徹が大阪市長に、それぞれ初当選した。以後、安倍は維新幹部と頻繁に接触。2012年2月26日に大阪市で開かれた日本教育再生機構主催の集会に松井とともに登壇し、同年4月24日には都内のホテルで橋下、松井と会談した。9月の自民党総裁選に意欲を示す安倍はこのときすでに、次期衆院選における維新の躍進を見越していた。維新とのパイプを強調し、党内の求心力を高める狙いがあった。「保守勢力の結集」を掲げる松井ら幹部も、安倍の接近は維新の党勢拡大にプラスにつながると考えていた。 2012年8月15日、橋下が安倍に新党参加を要請したことがメディアで報じられた。同日、安倍は靖国神社で記者団の取材に応じ、「維新の会の力を生かして行く道を考えたい」と述べた。 同年8月28日、安倍は清和会の前会長の森喜朗の国会内の事務所を訪ね、谷垣禎一総裁の任期満了に伴って行われる自民党総裁選への出馬の意向を伝えた。自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり、森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの、これを押し切る形での出馬となった。8月31日、石破茂と町村が出馬の意向を固めたことがメディアで報じられた。9月5日、三宅久之や金美齢、すぎやまこういちら保守系の著名人が安倍に出馬要請した。9月12日、安倍は党本部で記者会見し、正式に出馬を表明した。 当初は、清和会が分裂選挙を余儀なくされたことや5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった石破茂、党内重鎮からの支援を受けての出馬となった石原伸晃の後塵を拝していると見られていた。しかし、麻生派・高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となった。前述の三宅久之や金美齢、長谷川三千子などが発起人に名を連ねる「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」が結成され、9月19日には同団体主催による総裁選決起集会が開かれた。 9月26日に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと、決選投票では、1回目の投票で1位となっていた石破を逆転。石破の89票に対し108票を得て、総裁に選出された。一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初、決選投票での逆転は1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった。
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