2009年の総選挙
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イスラエル国会は2006年10月30日、オルメルト首相が率いるカディマと労働党の中道左派連立政権に極右政党「イスラエル我が家」が参加した新内閣を賛成多数で承認した。カディマ(29議席)を中心とする政権は「我が家」(11議席)の参加で5党連立となり、国会定数120のうち78議席を確保した。「我が家」リーバーマン党首は、イランの脅威への対応を担当する新設閣僚を兼任した。 オルメルトは財務相を務めていた2005年、国内2位の「レウミ銀行」民営化の際の政府保有株の売却を巡り、知人2人に入札の便宜を図るなどした疑いが持たれ、2007年1月16日にイスラエル検察当局は警察当局に対してオルメルトに対する捜査に着手するよう指示。オルメルト政権はカツァブ大統領のレイプ疑惑のほか、国税当局の収賄疑惑が発覚するなどスキャンダルが相次ぎ、2006年夏のレバノン侵攻での不手際も重なって支持率が急落した。 オルメルトはレウミ銀行汚職に関し、一貫して不正行為を否定していたが2008年7月30日、党首選終了後に首相を辞任する旨を記者会見で表明。9月18日の党首選でツィッピー・リヴニ外相が僅差で勝利を収めた。9月21日のオルメルト首相辞任を受けてリヴニは新内閣組閣を目指したが、エルサレムの帰属などで宗教政党・シャスが激しく反発。組閣の失敗により国会は自動的に解散された。 2009年2月10日の総選挙では28議席を獲得し、第一党の座をかろうじて維持した。しかし、連立政権交渉は不調に終わり、組閣を要請されたリクードのベンヤミン・ネタニヤフはカディマとの連立交渉を断念、カディマは野に下ることとなった。
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