1994年〜活動停止
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「サヴァタージ」の記事における「1994年〜活動停止」の解説
ジョンはバンドの継続を決意し、新たなリード・ギタリストとして元テスタメントのアレックス・スコルニックを迎え、『ハンドフル・オブ・レイン』(1994年)を発表。レコーディング時には、まだサヴァタージがバンドとして機能していなかったため、実際の録音はジョン(Key)、アレックス(G)、ザッカリー(Vo)の3人だけで行われた。収録曲「チャンス」は、日本人外交官の杉原千畝をテーマとしている。同作に伴うツアーではジョニー(B)が復帰し、新たにジェフ・プレイト(Ds)が加入した。日本公演の模様はライヴ・アルバム『Japan Live 94』として発表された。 アレックス(G)はツアー終了後にサヴァタージを脱退し、キャファリー(G)が復帰したのに加えてアル・ピトレリ(G)も加入し、バンドは6人編成となった。アル在籍時としては第1弾のアルバム『デッド・ウィンター・デッド』(1995年)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材としたコンセプト・アルバムで、ジョンも一部楽曲でリード・ボーカルを担当している。また、クリス(G)存命時のライヴ音源を収録した追悼盤『ゴースト・イン・ザ・ルーインズ (トリビュート・トゥ・クリス・オリヴァ) 』もリリースされた。 1996年、盟友ポール・オニールがトランス・シベリアン・オーケストラ(TOS)というプロジェクトを立ち上げ、クリスマス・アルバム『Christmas Eve and Other Stories』を発表。同作にはサヴァタージの全メンバーが参加し、彼らは以後、サヴァタージとしての活動とトランス・シベリアン・オーケストラとしての活動を並行させていく。アルバム『ウェイク・オブ・マゼラン』(1997年)は、前作と同じ6人編成で制作され、ドイツのポップ・チャートで11位に達した。 2000年にザッカリー(Vo)がバンドを脱退し、アル(G)もメガデスに引き抜かれる。ケビン・カーターをモチーフにしたコンセプト・アルバム『ポエッツ・アンド・マッドメン』(2001年)は、10年ぶりにジョンが全曲のリード・ボーカルを担当する形のアルバムとなった。同作に伴うツアーは、デイモンド・ジニヤ(Vo)とジャック・フロスト(G)を加えた編成で行われた。なお、2002年にメガデスが一度解散してからは、アルは再びサヴァタージやトランス・シベリアン・オーケストラで活動している。 2002年以降、バンドとしては表立った活動はしていないが、ジョンを中心としたサヴァタージのメンバーは、トランス・シベリアン・オーケストラのレコーディングやツアーで活動を共にしている。
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