1945年~1946年(太平洋)
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「ヴァルカン (工作艦)」の記事における「1945年~1946年(太平洋)」の解説
1944年の終わり、太平洋方面での緊急の需要に応えるため、ヴァルカンは1944年11月23日にGUS-59船団に加わって地中海を出航した。出航後にノーフォークで1945年1月まで修理を行ってから、ヴァルカンは南太平洋へ向かった。1945年2月9日にガダルカナル島へ到着し、戦争の残りの期間ツラギ、ヌメアそしてウルシー環礁で活躍した。ウルシー環礁では、沖縄戦に参加する揚陸艦艇の支援に従事している。 日本の降伏後、ヴァルカンは沖縄へ移動して中城湾へ入り、そこで9月後半まで強烈な台風のために座礁したり大きく損傷した艦艇の修理を行った。その時再び激しい台風が泊地を襲い、ヴァルカンは17隻の商船を率いて外海へ退避した。退避行動は成功し、ヴェスタルらは一切の損失なしに9月28日に帰港した。 それからすぐに、ヴァルカンは占領軍を支援するために日本本土へ向けて出航する。ヴァルカンは支援艦艇やタンカーの一団を率いて、未だ掃海作業が完了していない瀬戸内海へ入り10月8日に広島県呉市の広湾へ到着した。ここでヴァルカンは、呉を拠点に活動する占領部隊の艦艇へ食料、燃料、水を補給する前進支援部隊を組織し、他にも港に郵便局、診療所、休養施設を開設している。加えて、ヴァルカンは日本本土近海各所にばら撒かれた機雷を処理する掃海艦艇のディーゼル機関を整備する活動にも従事した。 翌1946年になるとヴァルカンは神戸と横須賀でも活動し、3月9日に横須賀を出港、アメリカ本土の東海岸へ向かった。真珠湾とパナマ運河を経由しながら、ヴァルカンは4月15日にニューヨークのブルックリンへ到着した。
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1945年 - 1946年
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「阪神タイガース」の記事における「1945年 - 1946年」の解説
第二次大戦後、日本のプロ野球は1945年11月の東西対抗戦(非公式大会)より復帰。1946年3月に球団名を大阪タイガースに戻した。
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