1427年から1431年にかけての戦闘
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「ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)」の記事における「1427年から1431年にかけての戦闘」の解説
1427年に再びフランスに赴き、舅である第13代ウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムの指揮のもとモンタルジの戦いに参加するが、敗北した。しかし1428年にはラヴァルやル・マンの奪取に貢献、ロエアック領主アンドレ・ド・ラヴァルを捕虜とした。 同年から1429年にかけて行われたオルレアン包囲戦でも司令官のソールズベリー伯トマス・モンタキュートが11月に戦死するとサフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポールとトーマス・スケールズと共に指揮官の1人として活躍するが、1429年5月にジャンヌ・ダルク率いるフランス軍の手によってオルレアンが解放されると、他のイングランド軍と共に敗走した。その後、タルボット卿の部隊はジャンヴィルで陣容を立て直し、パリにいる摂政ベッドフォード公ジョンが派遣したジョン・ファストルフ率いる援軍と合流し、ボージャンシーの戦いの救援に向かったが、この救援に間に合わず、パリへ引き上げようとしたところをフランスの追尾軍に発見され、6月18日にパテーの戦いに及ぶも惨敗。タルボット卿もフランス軍の捕虜となった。 4年間虜囚の身となった末に1433年にフランス軍の指揮官ジャン・ポトン・ド・ザントライユとの人質交換という形で解放された。
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