黒川金山の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 03:55 UTC 版)
黒川金山の金鉱脈は中生代・新生代において、堆積岩層に花崗閃緑岩が貫入して生成された。風化・河川の侵食などにより金鉱石が母岩から遊離し、砂金として川底に沈殿し、やがて黒川金山が発見されたと考えられている。現在は甲州市塩山藤木に所在する高橋山放光寺(旧法光寺)は12世紀に甲斐源氏の一族である安田義定により創建され、『甲斐国志』では山号が「高橋山」であることから旧寺が高橋地区に所在したとする説を載せている。清雲俊元は高橋地区に小堂が残る法光寺高橋寺を放光寺の前身と推定し、さらに義定の祖先である源頼義は鎮守府将軍として前九年の役・後三年の役で活躍しており、義定も奥州合戦に従軍していることから、義定が甲州市塩山に進出した背景に黒川金山の砂金があったと推測している。また、考古資料では黒川千軒C地点から出土した渥美焼の甕(かめ)は12世紀のもので、G地点から出土した常滑焼の甕破片は13世紀から14世紀の資料であるが、これらは16世紀になって古物が持ち込まれた可能性も考えられている。
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