黄玉郎の時代
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当初は日米漫画の影響を強く受けていた香港の漫画であるが、1971年にカンフー映画のスピード感を反映させた黄玉郎による『龍虎門(英語版)』(初名は『小流氓』)、上官小宝による『李小龍』の連載が始まると多くの読者を獲得し、香港独自の作風として発展していく。劇画タッチのアクション漫画の人気の前にそれまで存在した連環画は香港市場から駆逐されるに至ったが、その過激な暴力表現は香港政庁が1975年に出版規制法を制定するほどの社会問題とされることもあった。 1980年になると馬栄成により『中華英雄(中国語版)』が発表されると香港における武術アクション漫画の地位は確実なものとなった。当時の人口が500万強の香港で最大20万部を売り上げた作品は、馬栄成を香港を代表する漫画家としたばかりか、過激なアクション表現が香港漫画の表現の主流として確立するに至った。こうした作品を出版した黄玉郎「玉郎国際集団有限公司」の経営も順調そのものであり、人気作家との契約を締結し、自身も『酔拳』、『如来神掌』、『玉郎漫画』などのヒット作品を発表、自身と人気を二分していた上官小宝との協力関係も構築し、香港における漫画産業を代表する企業に成長、香港証券取引所への株式上場も果たしている。 しかし1980年代後半になると玉郎機構傘下の人気漫画家の独立が相次ぐこととなる。劉定堅及び馮志明(中国語版)による自由人出版が設立され『刀・剣・笑』というヒット作を発表、後の黒社会漫画を代表する牛佬(中国語版)も独立した。さらに1989年になると馬栄成も自ら天下出版を設立し、玉郎機構の独占状況に変化が生じた。そうした中、独立後の作品を準備していた馬栄成が何者かに襲われ右手を負傷する事件が発生している。人気作家を失った玉郎機構は、1987年の米国株大暴落(ブラック・マンデー)・香港証券市場混乱ののち、経営状況が悪化。資金繰りに行き詰った黄玉郎は不祥事に手を染め逮捕、懲役4年の実刑判決を受け漫画産業からの一時撤退を余儀なくされた。
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