駐日英国公使
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 12:08 UTC 版)
「ヒュー・フレイザー (外交官)」の記事における「駐日英国公使」の解説
フレイザーは1889年5月に、公使として東京に着任した。公使としての最大の問題は条約の改正であった。また在任中にコンノート殿下が来日しており、その対応も行った。 1893年6月には賜暇で一旦帰国し、翌年3月に東京に戻ったが、5月上旬に病気になった。エルヴィン・フォン・ベルツの治療を受けたが、1894年6月4日に亡くなった。57歳であった。葬儀は6月6日に行われ、青山墓地に埋葬された。葬儀の手配は建築家であるジョサイア・コンドルが行った。フレイザーは日本で在職中に亡くなった英国公使・大使としては唯一の人である。また、在任が短かったため、サーの称号も受けることができなかった。
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