シセロ・プライスとは? わかりやすく解説

シセロ・プライス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 03:42 UTC 版)

シセロ・プライス(Cicero Price, 1805年 - 1888年11月24日)はアメリカ海軍の士官で、最終階級は代将東インド艦隊の司令官を務めた。

経歴

マシュー・ペリーにより日本を開国させた米国だが、その後の南北戦争の勃発のためにほとんどの艦艇が米国に戻り、アジア方面の海軍力は貧弱であった。アジアには、南軍私掠船対策として少数の艦艇が派遣されているのみであった。このような中、日本では攘夷運動が盛んになりつつあり、1863年には下関戦争が勃発し、米国の商船アメリカ商船ベンプローク(Pembroke)が攻撃された。この時は、スクリュー戦闘スループワイオミングが横浜に停泊しており、直ちに報復攻撃を行ない、長州藩の軍艦を撃沈した。しかしながら、関門海峡は依然封鎖されたままだった。

翌1864年、駐日英国公使ラザフォード・オールコックは長州藩に対する懲罰攻撃を決意した。オールコックのこの方針にフランス、オランダ、アメリカも同意し4月に四国連合による武力行使が決定された。しかしながら、この時期日本にあった米国軍艦はシセロ・プライス代将の帆走スループ・ジェームスタウン英語版一隻のみであった。しかも、ジェームスタウンは帆走であるため、他国の蒸気軍艦と行動を共にすることは難しいと思われた。このため、プライスは横浜に停泊していた米国船籍のスクリュー商船タ・キアンをチャーターし、30ポンドパロット砲を搭載。一時的に東インド艦隊に編入し、4カ国連合艦隊17隻の1隻として下関攻撃に参加した。プライスはその後1865年まで東インド艦隊の司令官を務めた。

1888年11月24日、ニューヨーク州トロイで肺炎のため死亡した[1]

脚注

出典

  1. ^ New York Times (1888年11月25日). “COMMODORE PRICE DEAD.”. New York Times. 2010年2月13日閲覧。


軍職
先代
フレデリック・エングル
東インド艦隊司令官
第16代:1862 - 1865
次代
ヘンリー・ベル




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シセロ・プライス」の関連用語

シセロ・プライスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シセロ・プライスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシセロ・プライス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS