非居住者ユーロ円債
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/18 08:23 UTC 版)
ユーロ円債が自由化されていく発端は、1980年の(外資法廃止をともなう)改正外為法の成立である。1985年9月のプラザ合意を経てから本格化していく。2年後のブラック・マンデーを契機としては、各国の対米投資とアメリカの経常収支赤字が世界信用を膨張・収縮させていることが問題となった。日本から見た一連の外圧は、ドル放出と日本円取得を企図している。アメリカの立場だけを考えれば、その目的は経常収支の改善にあった。しかしユーロ市場の機関投資家は、直接または間接にユーロ円債を発行して、その調達した資金を日本株に投下したかったのである。オーバーローンで系列化していた日本経済を機関化するべく、政治・経済の両面から迫っていった。非居住者ユーロ円債は円建て外債と日本円を取り合う関係にあることも憂慮されて、日本の系列経済としては自由化したくなかった。しかし結果的に押し切られていった。
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