青鞜社とは? わかりやすく解説

青鞜社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/26 07:33 UTC 版)

青鞜社(せいとうしゃ)は、1911年(明治44年)、平塚らいてう(平塚雷鳥)を中心として結社された女流文学社であり、フェミニスト団体。機関誌『青鞜』を発行し、婦人解放運動を精力的に展開した。文学的思想啓蒙運動団体。1916年(大正5年)に解散。




「青鞜社」の続きの解説一覧

青鞜社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:18 UTC 版)

伊藤野枝」の記事における「青鞜社」の解説

10月頃から、野枝平塚らいてうらの女性文学集団青鞜社に通い始め社内外から集まった当時錚々たる「新しい女」達、与謝野晶子長谷川時雨国木田治子小金井喜美子岡本かの子尾竹紅吉神近市子らと親交深めて強い刺激受けた機関誌『青鞜』に詩「東の渚」などの作品次々発表頭角現した。平塚らいてうが「原始女性は実に太陽であつた」と謳ったのと対照的に野枝は、「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と謳っている。この時期アメリカアナキストであるエマ・ゴールドマンの『婦人解放悲劇』の翻訳をし、足尾鉱毒事件関心深めた1915年それまで度々発売禁止処分を受けるなど経営難に陥っていた雑誌青鞜』の編集・発行平塚らいてうから受け継ぐと、「無主義、無規則、無方針」をモットーエリート女性だけでなく一般女性にも誌面解放情熱的に創作評論編集活躍し、『青鞜』を文芸雑誌から女性評論誌、あるいは女性論争誌と呼ぶべきものに変えていった。野枝この間長男の一(まこと)、次男の流二(りゅうじ)を出産。また中流階級婦人による廓清会廃娼運動を、娼婦境遇に対して理解なきまま「醜業婦」の名を浴びせる偽善として厳しく批判した

※この「青鞜社」の解説は、「伊藤野枝」の解説の一部です。
「青鞜社」を含む「伊藤野枝」の記事については、「伊藤野枝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「青鞜社」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青鞜社」の関連用語

1
軽き妬み デジタル大辞泉
100% |||||


3
伊藤野枝 デジタル大辞泉
58% |||||

4
青鞜派 デジタル大辞泉
58% |||||


6
青鞜 デジタル大辞泉
54% |||||



9
18% |||||


青鞜社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青鞜社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青鞜社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの伊藤野枝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS