青年期~ソニー入社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:04 UTC 版)
1969年に早稲田高等学校を卒業後、2年の浪人生活を経て1971年に電気通信大学電子工学科に入学し、長谷川伸教授の指導で画像処理について卒業研究し、1975年に卒業してソニーに入社する。 ソニー入社後は液晶ディスプレイの研究開発を行なっていたが、当時のソニーはトリニトロンに注力していたため、研究に没頭しつつも成果が出ない不遇の日々を過ごす。液晶を用いた音量バーグラフ装置を開発するが、液晶はコストが高すぎるためLEDに差し替えられた。このLED音声バーグラフ装置は、ソニー社外の機器にも広く使われ、出荷量が1000万個を超えるヒット商品となった。その後、2インチフロッピーの研究に携わる中でデジタル信号処理に興味が向かい、まもなくソニーの情報処理研究所に引き抜かれる。同研究所内で業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」に出会い、これをゲームに転用できないかと考えるようになる。
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