隠居と再相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:39 UTC 版)
跡を継いだ長武は、あくまで長成が成長するまでの代つなぎだったため、貞享3年(1686年)5月27日、長武は長成に家督を譲って隠居した。ところがその長成は元禄10年(1697年)に嗣子無くして死去した。このため、長継は弟の関衆之の養子となっていた自分の九男・衆利を長成の継嗣として認めてもらうよう江戸幕府に訴えた。幕府もこれを承諾したが、肝心の衆利が継承挨拶のため江戸に出府途中、伊勢で乱心したため、幕府は家督相続承認を取り消し、元禄10年(1697年)8月2日に領地を召し上げ、津山藩森家は改易された。 ただし、幕府は長継に新たに備中西江原藩2万石を与えることで、森氏の存続を許した。これには池田氏(岡山藩)、細川氏(熊本藩)、前田氏(加賀藩)、浅野氏(広島藩)などかつて森家と交友のあった大藩から幕府への働きかけもあったという。 元禄11年(1698年)7月11日、江戸芝屋敷で死去。享年89。跡を八男の長直が継いだ。
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