隠匿物資の捜索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:21 UTC 版)
後日、第1大隊(航空機動)/第5騎兵隊所属のC中隊がスヌオル南西部の「ザ・シティ(The City)」と通称されていた地区に入った。そこは2平方マイルの広さがある北ベトナム軍複合施設で、その中に400個以上の藁葺小屋、貯蔵小屋、掩蔽壕などが整備され、大量の食料、武器、弾薬を貯蔵していた。そのほかにはトラック修理工場、病院、製材所、18棟の食堂、養豚場、さらにはスイミングプールまで完備されていたという。5月6日、別の第1騎兵師団の分隊が40km北東にさらに大きな拠点を発見した。イリノイ州にある米軍のロックアイランド工廠にちなんで「東ロックアイランド(Rock Island East)」と通称されたこの地域には、650万発の高射砲弾薬、50万発の小銃弾、数千発のロケット弾、複数のGM製トラック、大量の通信機器があった。 発見できなかったことの一つが南部中央局(COSVN)だった。エイブラムスは5月1日にニクソンの声明をテープ再生で聞き、同本部の占領がこの作戦の主要目的の一つであると大統領が語るのを聞いた際には「恐縮しきりだった」という。MACV情報部は、機動的で広域に分散している指令本部を捕捉するのは難しいだろうと知っていた。事前のホワイトハウスからの問い合わせに対しても、MACVは「主要なCOSVNの構成部隊は110平方kmのジャングルに分散している」「主要構成部隊を捕捉できる実現可能性は低いだろう」と回答していた。 作戦開始から1週間後、追加の大隊および旅団が作戦に投入され、24日までに合計9万人の連合軍(33個の米軍機動大隊を含む)がカンボジア国内で作戦に従事していた。5月7日、ニクソンは国内の政治的混乱や反戦機運の高まりを受け、アメリカ軍の作戦行動範囲を国境から30km以内に制限すると共に6月30日を南ベトナムへの撤退期日とする旨を指示した[要出典]。 米軍部隊への時間的および地理的制限に、南ベトナム軍は束縛されなかった。スヴァイリエンの州都から南ベトナム軍の分隊はカンポントラベックへと西進し、5月14日にはそこで南ベトナム第8および第15機甲騎兵連隊が北ベトナム第88歩兵連隊を撃破している。5月23日、南ベトナム軍は米軍の最も深い進攻を越えてクレクの町を攻撃した[要出典]。
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