陸軍省経理局長として
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大正12年10月10日に陸軍主計総監(中将相当官。昭和12年(1937年)2月12日勅令第12号により陸軍主計中将に改称される)に任じられ、陸軍省経理局長に補せられる(当時正五位勲二等功四級)。当時の陸軍主計科の最高階級であり、最終の補職である。この後、昭和2年(1927年)までの間に従三位まで陞叙する。 大正13年(1924年)3月、宇垣一成陸軍大臣の下で宇垣軍縮に着手するため、陸軍省会計経理規定整理委員長に就く。宇垣軍縮では、第13師団(高田)、第15師団(豊橋)、第17師団(岡山)、第18師団(久留米)を廃止した。その結果、歩兵連隊16個、騎兵連隊4個、野砲兵連隊4個、工兵大隊4個、輜重兵大隊4個等の定数3万3900人、馬匹定数6000頭を削減した。また、陸軍病院5個、仙台陸軍幼年学校など2校を廃止し、戦車連隊、高射砲連隊、飛行連隊、台湾山砲連隊を新編し、陸軍自動車学校、陸軍通信学校を設置した(詳細は宇垣軍縮を参照。)。更に、航空機が活躍する時代の趨勢を見越して、建軍以来初めて兵科を新設し航空兵科を置いた。 大正14年(1925年)には第2回化学工業博覧会評議員の委嘱を受けている。
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