都市の誕生とローマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:34 UTC 版)
紀元前75年から74年にかけての冬、一帯は共和政ローマの将軍ポンペイウスがセルトリウスとの争いの中で駐屯地とした。彼はポンパエロ(Pompaelo)の創設者とみなされている。ポンパエロが現代スペイン語でパンプローナとなった。ここは、ローマ人がやってきた頃に既に一帯に住んでいたヴァスコン人(en、バスク人の祖先とされる)の主要な町で、彼らは町を、都市を意味する言葉『イルーニャ』(Iruña)と呼んだ。ローマ都市ポンパエロは属州ヒスパニア・タラコネンシスに含まれ、ブルディガラ(現在のボルドー)からアストゥリカ(現在のアストルガ)へと至る道の途上にあった。それはカエサラウグスタ(現在のサラゴサ)の属州州都の管轄区域にある都市だった。ポンパエロはローマ属州ヒスパニアの目立った都市とはいままでみなされず、最近の考古学発掘物が高い内容の文化の発展を公けにした。
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