遺跡遺物と文化財
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古墳 中里見町から丘陵地帯に60あまり点在する。 里見城址(里見村大字下里見小字古城) 新田義貞を輩出した新田氏の流れを汲む里見義俊が居を構えた。 雉郷城址(城山) 大字中里見緒の毛山頂 箕輪城上野長野氏に属し、永禄年間に武田信玄の上州攻略により激しく戦ったが落城、以後廃城となった。 上里見城址(神山陣屋) 寛延元年(1748年)8月から明和4年(1767年)閏9月28日まで上里見藩が置かれた。 廃寺址(以下、四寺) 安養寺(現上大島公会堂) 新義真言宗。本尊は阿弥陀如来。明治23年の夏落雷により出火全焼した。 万福寺(下里見字宮谷戸) 天台宗で光明寺末寺。本尊は大日如来。 竜門寺(上里見神山町南裏)上里見藩城主の菩提寺であったという。黄檗宗。本尊は観世音菩薩。 普門寺(上里見神山上町北裏) 示現山観音院普門寺という。天台宗で本尊は観世音菩薩。創立寛永6年(1629年)1月30日 伊勢山の屋敷跡(上里見字伊勢山1583番地) 現状は畑。「伊勢山城址」とも呼ばれるが詳細不明。面積は約1000坪で、城跡とも常福寺が移転する前にあった場所とも言われているが、街道を下に見る位置で豪族の住居跡ともいわれている。 神山三町の屋台 伝承では、寛延元年(1748年)上里見藩が上里見神山三町に置かれ、城下町になったお祝いで山車(だし)を出すようになったのが起源であるという。山車は各町1台で計三台ある。 中里見獅子舞 大干ばつの年、榛名神社(榛名大権現とも)に舞を奉納し雨乞すれば、村に帰りつく前に雨が振る霊験を顕したとされる。 雨獅子(上神蕨平)この獅子舞を舞うとき、いつも途中から雨が降ることに由来するとされる。
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遺跡遺物と文化財
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「里見村 (群馬県)」の記事における「遺跡遺物と文化財」の解説
古墳 中里見町から丘陵地帯に60あまり点在する。 里見城址(里見村大字下里見小字古城) 新田義貞を輩出した新田氏の流れを汲む里見義俊が居を構えた。 雉郷城址(城山) 大字中里見緒の毛山頂 箕輪城上野長野氏に属し、永禄年間に武田信玄の上州攻略により激しく戦ったが落城、以後廃城となった。 上里見城址(神山陣屋) 寛延元年(1748年)8月から明和4年(1767年)閏9月28日まで上里見藩が置かれた。 廃寺址(以下、四寺) 安養寺(現上大島公会堂) 新義真言宗。本尊は阿弥陀如来。明治23年の夏落雷により出火全焼した。 万福寺(下里見字宮谷戸) 天台宗で光明寺末寺。本尊は大日如来。 竜門寺(上里見神山町南裏)上里見藩城主の菩提寺であったという。黄檗宗 。本尊は観世音菩薩。 普門寺(上里見神山上町北裏) 示現山観音院普門寺という。天台宗で本尊は観世音菩薩。創立寛永6年(1629年)1月30日 伊勢山の屋敷跡(上里見字伊勢山1583番地) 現状は畑。「伊勢山城址」とも呼ばれるが詳細不明。面積は約1000坪で、城跡とも常福寺が移転する前にあった場所とも言われているが、街道を下に見る位置で豪族の住居跡ともいわれている。 神山三町の屋台 伝承では、寛延元年(1748年)上里見藩が上里見神山三町に置かれ、城下町になったお祝いで山車(だし)を出すようになったのが起源であるという。山車は各町1台で計三台ある。 中里見獅子舞 大干ばつの年、榛名神社(榛名大権現とも)に舞を奉納し雨乞すれば、村に帰りつく前に雨が振る霊験を顕したとされる。 雨獅子(上神蕨平)この獅子舞を舞うとき、いつも途中から雨が降ることに由来するとされる。
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