遺書と遺した短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
詳細は「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」を参照 太宰は妻、美知子宛の遺書を遺していた。また遺書の下書きも発見された。わら半紙9枚に書かれた遺書は、「津島修治 美知様 お前を誰よりも愛していました」と結ばれていた。遺書の本文、下書きはともに美知子本人に渡されたが、下書きがマスコミによって報道された。 あなたを きらいになったから 死ぬのでは無いのです 小説を書くのが いやになったからです みんな いやしい 慾ばりばかり 井伏さんは悪人です。 報道された遺書の末尾は、このように結ばれていた。 この「井伏さんは悪人です」との一節は反響を呼ぶことになり、井伏本人もマスコミのインタビューに「思い当たる節は無い」と答える羽目になった。 太宰が「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」と書いた色紙を遺された伊馬春部は、この歌が太宰の煩悶と重なり合い、生身の太宰が迫ってくるようであり、晩年、太宰の身も心も濁りににごってしまったと述べている。中井英夫は太宰が遺書として選んだこの短歌には、太宰が心から憎んだ人間の汚さ、けち臭さ、陰謀、嫉視に取り囲まれながら、いつか藤の花が高貴な光を映し出すと信じていたにも関わらず、その希望を叩きのめすかのように降りしきる雨についに耐えきれなくなった救いようもない心性、病み疲れた精神を余すところなく現わしているとした。また日置俊次は遺書と短歌の内容から、濁りににごった文壇に対する絶望が見られると解釈している。
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