連邦政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 20:48 UTC 版)
「トマス・ジョンソン (メリーランド州知事)」の記事における「連邦政府時代」の解説
1789年9月、ワシントン大統領がジョンソンをメリーランド地区の初代連邦判事に指名したが、ジョンソンはその指名を辞退した。1790年と1791年、メリーランド高等裁判所で上級判事を務めた。その後の1791年、ワシントンがジョン・ラトリッジの辞任で空いたアメリカ合衆国最高裁判所判事にジョンソンを指名した。ジョンソンは1792年の「ジョージア州対ブレイルズフォード事件」で最高裁判所判事としては初めて文書による意見を書いた者となった。ジョンソンは1793年まで最高裁判事を務め、健康を害して巡回裁判に出向くのが困難になったためにこの職を辞した。最高裁判事として最も短い任期を務めた者となった。1795年には、トーマス・ジェファーソンの推薦で、ワシントンから国務長官就任の打診があったが、健康のために辞退することになった。 1801年2月28日、ジョン・アダムズ大統領がジョンソンをコロンビア特別区首席判事に指名した。このことで新しい連邦首都の監督官会議委員となり、このときワシントンという都市名を提案した。
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