連邦地裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:52 UTC 版)
「ウォーターゲート事件」の記事における「連邦地裁」の解説
1973年1月8日に、リディとハントを加えた侵入犯被告7人(ウォーターゲート・セブン)は大陪審にかけられて、マッコードとリディ以外の全員が有罪を認めた。しかしこの盗聴事件の背後関係については一切口をつぐんだままであった。裁判では被告全員に対し、犯罪の共同謀議、家宅侵入および盗聴について有罪の判決が下されることになるとの予想であったが、被告が証言をせず有罪を認めるように賄賂が支払われたという事実もまた明るみに出てしまう。そしてマッコードは次第にCIAの単独工作ということで自分を主犯格にして幕を引く動きであることを察知して、侵入だけを認め、素直に刑に服し(懲役20〜30年の見通しであった)、やがて恩赦を待つ、その間の家族の面倒は見るとの約束に懐疑的になっていった。そして3月19日についに行動を起こして、シリカ裁判長に手紙を送る。それは「罪を認めてその他は一切しゃべるなという政治的圧力を受けている」「公判でいくつかの偽証があった」「他にも関係者はいるが公判では一切明らかにされていない」「ウォーターゲートはCIAの作戦の一環ではない」など自分の胸中を初めて吐露したものであった。 これに対してシリカ裁判長は、3月23日の判決の際に冒頭でマッコードの手紙を読み、リディには懲役20年の実刑判決、他の侵入犯被告に対して懲役35年の仮判決を言い渡すと同時にグループが事件の調査に協力的であるなら3ヶ月後に減刑するとも述べた。ハントには懲役25年の仮判決で3ヶ月後の減刑も予想されるものであった。一方、自ら大統領再選委員会との関係と偽証を認めたマッコードに対しては、判決が延期された。 これ以後、民主党本部盗聴侵入事件の疑惑がさらに深まると同時に大統領までも巻き込む一大政治スキャンダルとなり、警察の捜査、裁判での審理から政治の場での調査と権力争いの様相に変化することとなる。マッコードは翌3月24日に上院特別調査委員会に証人として立ち、「盗聴計画はミッチェル、ディーン、マグルーダーの3名が事前に承認を与えた」という爆弾発言をおこなった。
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