近代の池田家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 14:05 UTC 版)
池田家は幕末頃から明治初期にかけて在村地主に成長する。明治9年(1876年)には耕地約300町歩(水田9割畑1割)と山林原野を所有していた。明治10年代には約500町歩の耕地を有する。東北三大地主までの成長過程といった細かなルーツに関しては、今後の研究が待たれる。 12代池田甚之助【弘化2年(1845年) - 明治34年(1901年)】は秋田県選出の最初の貴族院議員。秋田銀行初代頭取を務め、地域の政治経済発展に尽力した。貴族院議員を1期務めたのち、明治22年の市町村制施行により初代高梨村長に選出される。 13代池田文太郎【明治元年(1868年 - 昭和2年(1927年)】は甚之助の後を継ぎ、第2代高梨村長に就任する。大正13年には耕地1,046町歩を所有し、池田家の最盛期を築く。私財を投じることで、小作人や使用人の福利厚生に資するような社会資本の整備や社会福祉、教育向上に尽力した。 14代池田文一郎【明治26年(1893年) - 昭和18年(1943年)】庭園内に私設公開図書館(洋館)を建設するなど、地域の青少年教育と地域の文化的向上に尽力した。 秋田県立秋田図書館大曲分館長を務める。昭和5年(1930年)池田家による物的・経済的支援などによって、払田柵の発掘調査が開始された。払田柵は昭和6年(1931年)、秋田県内では初めて国の史跡に指定された。
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