転生問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 03:37 UTC 版)
ジェプツンダンパ8世の転生問題について、人民革命党政権は「従来からのボグド・ハーンにまつわる伝承」を用いて、「第八代をもってこのホトクトは転生を終わる」と説明し、政府として後継者を捜索・認定しないのみならず、信者や教団による捜索・認定も禁止しようとした。 しかしながらモンゴル国内の信者たちや、チベットで独自に転生者を探す動きが見られた。モンゴル国内では、1926年にジェプツンダンパ8世の元側近ヨンドンがボグド・ハン・オール・アイマクのノヨン・オール・ホショーの一婦人ツェンドジャブの子息を8世の転生者として擁立しようとした。モンゴルの人民革命党政権は、モンゴル国内におけるこの種の動きは阻止できたが、チベットのガンデンポタン摂政政府による認定(1939年)は阻止できなかった。この時、認定されたジャンペルナムドゥル・チューキゲンツェン(1932年 - 2012年)については、モンゴル国で社会主義一党独裁体制が崩壊したのちの1990年、当時のオチルバト大統領からの照会に対し、チベット亡命政府のダライ・ラマ14世が改めてジェプツンダンパ9世としての認定を行った。晩年はモンゴル国籍を取得し、モンゴルとインドを行き来していたが、2012年3月1日に遷化した。
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