軌道事業の開業
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九州電気軌道では会社設立直後より軌道建設工事を始めたが、軌道敷を確保するための県道拡幅工事が難航し、開業は予定より遅延した。最初の区間が開業したのは1911年6月5日で、その区間は東本町停留場(門司市)から大蔵停留場(遠賀郡八幡町、板櫃川東岸)までの18.1キロメートルである。次いで同年7月に大蔵から先へ黒崎駅前停留場(遠賀郡黒崎町)まで5.8キロメートル延伸し、8月には起点東本町停留場の移設で0.1キロメートル延伸して東本町から黒崎駅前までの24.0キロメートルの路線が開通した。 完成した路線は市内電車と都市間連絡鉄道の役割を兼ねることから、車両には相応の輸送力と高速性能が求められた。これらの条件を満たすべく最初の車両である1形は、定員66人の木造ボギー車で、最高速度は約55キロメートル毎時とされた。この車両は神戸の財界人である社長松方幸次郎の縁で、阪神電気鉄道の1形電車をモデルにしたと言われる。 電車の利用客は工業化の進展に伴い増加する労働者や都市住民が中心で、開業初年度から174万人の利用があった。並行して国鉄鹿児島本線があり、中長距離輸送は同線が担い、近距離輸送を九州電気軌道の電車が分担するという建前であったが、実際には九州電気軌道が開業すると鹿児島本線の利用は減少し、同線門司駅(現・門司港駅)の利用者数は5分の1になったという。
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