越前国敦賀へ転封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 11:02 UTC 版)
天正11年(1583年)4月の賤ヶ岳の戦いの後、和泉国から越前国敦賀郡へと移封となり、敦賀5万石を与えられた。しかし当時の和泉国の石高は約14万石もあったので、これは石高の上では加増とは言えないものだった。ただし、敦賀湊は日本海貿易の重要拠点であり、敦賀の町は北陸道の陸路交易および軍事の重要拠点でもあったため、領地の戦略的重要度や実収入見込みは和泉一国の比ではない。 同年5月、領内の西福寺に宛てた禁制では「出羽守」と署名しているので、この頃、受領名を受けたと思われる。また、三層の天守を持つ敦賀城を建てたとされている。
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