超党派軍
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超党派軍(ちょうとうはぐん)は、全日本プロレスにおけるプロレスラーによるチームである。鈴木みのるが率いる。
結成の経緯
2010年5月2月、鈴木みのるが三冠ヘビー級王座獲得後、新世代の選手達(新世代軍)に立ちはだかるべく同世代[1]の選手達と決起し結成。
メンバーが全日本所属選手やフリーランスなど所属の枠を越えて結成されたため、超党派軍と呼ばれるようになった。
しかし、2011年からは、曙が浜亮太とのSMOP復帰、鈴木みのるの不定期参戦が相次ぎ、以前から船木とケアは本隊側のレスラーとタッグを組む事も多く、ほぼ自然消滅的に、ユニットとして活動していない。
メンバー
タイトル歴
関連項目
脚注
- ^ ケアのみ皆より若干年齢が若いが、新世代軍よりキャリアが長い為。
超党派軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 03:42 UTC 版)
2008年8月、ケアは当時諏訪魔の保持していた三冠ヘビー級王座に挑戦するも、60分時間切れ引き分けで王座は獲得ならなかった。その後も、ケアは鈴木とのタッグで着実に世界タッグ王座を防衛し続けていた。2009年7月5日、武藤&河野真幸との防衛戦で勝利するも、左月状骨の背側脱臼及び手根間靭帯断裂により休場となった。ケアはおよそ半年後の最強タッグで復帰するが、優勝を逃し翌年の2010年でも武藤&船木誠勝に破れ王座を手放すことになる。 その後は、鈴木が2010年チャンピオン・カーニバルを連覇したことによりGURENTAIが解散して、ケアも本隊へと戻って活動していたが浜亮太を下して三冠ヘビー級王者に返り咲いた鈴木の呼びかけにより船木、曙らと超党派軍を結成した。7月4日、曙とのハワイアンタッグで世界タッグ王座を戴冠する。 2011年10月23日に秋山準が諏訪魔から三冠ヘビー級王座を奪取する。ケアも王座奪回に最初に名乗りをあげ、2011年11月27日のノアの有明コロシアム大会に参戦し、秋山に挑戦するが秋山のスタンディングでのフロントネックロックに敗れ、王座奪取に失敗した。 2012年からは若手の専任コーチに就任、カズ・ハヤシとともにケアも団体の若手選手の育成にもあたることになった。 2012年4月21日から5月7日にかけて行われたチャンピオン・カーニバルでは、Bブロックに入るが真田聖也に敗れ、岡林裕二(大日本プロレス)に引き分けるも、2位で決勝トーナメントに進出。準決勝では新日本プロレスの永田裕志と対戦し、後頭部への蹴りからのスクールボーイで丸め込んで決勝へ進んだ。そして決勝では序盤で諏訪魔の痛めている首を集中的に攻め、中盤からは終盤にかけての諏訪魔の畳みかけをしのぎ切り、最後は初公開のタイガードライバー'91を口火に逆に諏訪魔を畳み掛け、最後にTKOを決めて6年振りに優勝を決めた。
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