財政部門での台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/18 09:00 UTC 版)
孫文死後、徐堪は西山会議派の一員として活動する。1927年(民国16年)の上海クーデター(四・一二政変)の後、蒋介石から上海交易所監理官、金融管理局副局長に任ぜられた。 翌年3月、金融管理局は銭幣司に改組されて徐はそのまま副司長に留まり、12月、徐は司長に昇進している。1933年(民国22年)、公債司司長を兼ね、1935年(民国24年)5月、財政部政務次長兼銭幣司司長に昇格した。1939年(民国28年)、四聯総処秘書長も兼ねた。 これらの地位にあった間、徐堪は中央銀行の地位向上や幣制改革、公債発行などにも尽力することで、蒋介石や宋子文、孔祥熙の信任を得た。財政面での功績を評価された徐は、1935年11月、国民党第5期中央執行委員兼中央政治会議財政専門委員会主任委員に選出される。1941年(民国30年)5月、全国糧食管理局を発展・改組した糧食部において徐は部長に任ぜられ、戦時中の糧食政策を主導した。
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