豊国の襲名者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:39 UTC 版)
二代目豊国 : 豊国門下で養子となった豊重が、初代死後の文政8年(1825年)に二代目豊国を襲名したが、歌川派一門の中で物議を醸したという。通称「源蔵豊国」「本郷豊国」。別号に一陽斎、一瑛斎、後素亭。作品に「風流東姿十二支」、「名勝八景」など。 三代目豊国 : 豊国門下の歌川国貞が、天保15年/弘化元年(1844年)に二代目豊国を称した。上記と区別するため、彼を三代目歌川豊国とする。通称「亀戸豊国」。 四代目豊国 : 国貞門下で娘婿。はじめ二代目国政、次いで二代目国貞。明治3年(1870年)に三代目豊国を称したが、今日では四代目豊国とする。通称は政吉、清太郎。別号に梅堂、一寿斎、梅蝶楼、香蝶楼、一陽斎、宝来舎。二代目豊国(初代豊重)の甥で二代目豊重とも名乗った歌川国鶴も、四代目豊国を称した。一寿斎、一雄斎とも号した。 五代目豊国:国鶴の三男である歌川国松に対し、1972年に追贈。 六代目豊国 : 国松(五代目豊国)の甥、二代目国鶴の子。はじめ二代目国春。90代で定時制高校及び近畿大学法学部夜間部に進学し話題となったが、2000年、大学2年次に死去した。 七代目豊国 : 六代目豊国の子。2001年に襲名。
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