誕生・幼少時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:27 UTC 版)
「アーサー・マッカーサー4世」の記事における「誕生・幼少時」の解説
1938年2月21日、フィリピンのマニラで生まれる。このとき父ダグラスは58歳で、アメリカ陸軍を退役し、フィリピンに在住していた。両親の間に他に子はなかった。フィリピンで育ち、洗礼も当時父が建物の最上階を丸ごと住居としていたマニラホテルで受けた。 アーサー・マッカーサー3世は父方の伯父であり、彼が生まれる前の1923年12月2日に病死している。アーサー3世の長男にあたる従兄の名前もアーサーであるが、若くして死んでいる。アーサーの名前はマッカーサー家の家長に引き継がれるもので、三男の長男である彼は本来名乗るはずではなかったが、彼が生まれた当時は1世から3世とその息子まで全員故人で「アーサー・マッカーサー」が不在であり、父ダグラスが軍人として最高位を極めたことにより実質的にマッカーサー家の家長であったため、「アーサー」と名づけられた。 1941年、父が日本軍に敗れてマニラからコレヒドール島、次いでオーストラリアに脱出すると、アーサーも母ジーンと共に同行した。ダグラスの司令部で勤務していたE・F・ジャーメイン三等軍曹が後年著した記録に収録された、オーストラリアで彼の護衛官を務めたハロルド(階級不明)の証言によると、このころのアーサーは礼儀正しく品行方正な少年であったという。
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