記録集
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北川フラム, 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 監修『瀬戸内国際芸術祭 : 作品記録集 2010』美術出版社、2011年3月、271頁。ISBN 9784568504231。 北川フラム, 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 監修『瀬戸内国際芸術祭 = Setouchi Triennale 2013』美術出版社、2014年6月、389頁。ISBN 9784568505856。 北川フラム, 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 監修『瀬戸内国際芸術祭 = Setouchi Triennale 2016』現代企画室、2017年6月、295頁。ISBN 9784773817140。 北川フラム, 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 監修『瀬戸内国際芸術祭 = Setouchi Triennale 2019』青幻舎、2020年7月、295頁。ISBN 9784861527920。
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記録集
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「南京安全区国際委員会」の記事における「記録集」の解説
日本軍による南京陥落の際に発生したとされる南京事件(南京大虐殺)に関して、南京安全区国際委員会は日本政府へ嘆願書を出したり、事件の記録集を作成した。南京安全区国際委員会による記録は、国民党政府の外交顧問で重慶国際問題研究所の徐淑希博士によってDocuments of the Nanking Safety Zone(南京安全区攩案)として1939年にKelly & Walshより上海-香港-シンガポールで出版された。日本語訳は『南京安全地帯の記録』。序文には1939年5月9日と日付がある。 1937年12月15日のジョン・H・D・ラーベ委員長の手紙(No.4)では、12月13日に中国軍の敗残兵が安全区に救援を求めたたが、安全区は兵士を保護できないと伝えたが、混乱のなかで軍服を脱いだ兵士と民間人を分離できなくなったため、兵士を確認できたものを戦争捕虜として労務者として使役するなど戦争法に従い処置するよう日本側に要求した。 12月16日の岡崎勝男総領事の「国際委員会は何らの法的地位を持っていない」と回答に対して、12月17日にラーベは日本大使館宛手紙(No.9)で、「日本当局に対して我々は何ら政治的地位を要求してはいない」が、12月1日に南京市の馬市長から市政府機能を委託され、日本軍入城時に委員会は唯一の行政組織であったと述べ、日本兵が掠奪、強姦を行うため日本当局は治安維持のため憲兵隊を設置したり、中国人警官450名を引き取り組織することなどを要求した。
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