言論人蘇峰
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蘇峰が1916年(大正6年)に発表した『大正の青年と帝国の前途』の発行部数は約100万部にのぼった。当時のベストセラー作家だった夏目漱石の『吾輩は猫である』は、1905年(明治38年)から1907年(明治40年)に出版し、1917年(大正6年)までに1万1,500部(初版単行本の大蔵書店版)であるから、その影響力の大きさがわかる。 蘇峰は朝比奈知泉、福地源一郎(桜痴)、陸羯南などと同様、当時のメディアをリードした傑出した編集者であり記者であったが、その本質は政客的存在に近いものであった。社内では経営権をもち、創立者でもあることから広汎な自律性と裁量権を有するが、ゆえに一方で経営上・編集上の責任を負い、場合によっては政界の力を必要することもあった。逆言すれば、蘇峰・桜痴・羯南らは、いわばみずから組織をつくりあげたことで政治的存在となったのであり、後年の「番記者」のごとく既存の組織に属することによって活動して自らの地位を築いたのではなかった。当時にあっては、「国民新聞の蘇峰」というよりは「蘇峰の国民新聞」だったのである。その意味で、蘇峰らは「純粋な新聞界の住人というよりは政界と新聞界の両棲動物で、現住所は政界に近い」 と評される。しかし蘇峰は、生涯にわたって、みずから一記者であることを「記す者」という本来の意味において誇りに思っていた。
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