西中国教区(1958-1978)
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「岩井健作」の記事における「西中国教区(1958-1978)」の解説
健作は、1958年4月から1978年3月までの20年間を、日本基督教団 西中国教区の3教会(広島、呉、岩国)で牧師を務めた。 岩国教会牧師に就任した1965年に最初の共著『洗礼を受けるまで』が西中国教区宣教研究会編として出版された。14週分の学びの単元の最後、本文の最後の言葉として、ベトナム戦争に突入する米軍の基地問題をはじめとする西中国教区の抱える課題を「社会」というタイトルで次のように結んでいる。 ”この弱いわたくしたちにも、「あなたがたは地の塩である」と呼びかけ、わたしたちの未来に希望を与えてくださる方の信頼を信じて行動し、逆に社会を正しく変革していくものが、現代の信仰者なのです。” 1968年、共著となる続編『洗礼を受けてから』が出版される。その書籍の最後は「第5章 証しとしての市民行動」であり、次の言葉で結ばれている。 ”教会生活の中で訓練されたことが、市民運動の中で生かされる時、教会はほんとうに地域に仕えていると申せましょう。” 岩国を含む西中国教区がベトナム戦争に接する最前線であったことを、健作は後に「私は岩国でベトナム戦争を経験した。」と語っている。(2015年6月21日(日)日本基督教団 鎌倉恩寵教会での講演「私は岩国でベトナム戦争を経験した。そして今」) 平和に対する危機感と戦争の脅威は、米軍戦闘機が飛来する岩国では日常の現実であったし、それは沖縄の抱える苦悩に通じるものであった。
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